スイスは中立をやめるのか? 国民投票の「否決」が意味するもの

スイスは中立をやめるのか? 国民投票の「否決」が意味するもの

スイスといえば、アルプス、時計、そして永世中立。国際社会の対立から一定の距離を保ち、戦争に巻き込まれない国というイメージを抱く人は多いだろう。

そのスイスで、「中立をより厳格に守ろう」という提案が大差で退けられた。

2026年9月27日に行われた国民投票で、「スイスの中立を守る」と題された国民発議は、反対70.2%で否決された。独誌sternが配信したdpaの記事は、この結果を、厳格な中立によって他国との協力を狭めることへの拒否として伝えている。

ただし、これを「スイスが中立を捨てた」と受け止めると、ニュースの核心を見失う。

今回問われたのは、中立そのものへの賛否ではない。中立を理由に、どこまで制裁や国際協力を制限するのか。その境界線だった。


「中立」という一つの言葉に、異なる考えが重なる

提案を推進したのは、右派・保守政党のスイス国民党(SVP)に近い団体「Pro Schweiz」だ。

背景には、2022年のロシアによるウクライナ全面侵攻後、スイス政府が欧州連合(EU)の対ロ制裁を大幅に取り入れたことがある。支持派にとって、これは中立の信頼性が損なわれかねない動きだった。

そこで提案されたのが、中立の厳格な運用を憲法に明記する仕組みである。

軍事・防衛同盟への加盟だけでなく、そうした同盟との協力も原則として制限する。例外は、スイスが軍事攻撃を受けているか、その攻撃が差し迫っている場合。さらに、交戦国への制裁も制限し、国連による制裁や制裁回避を防ぐ措置などを例外とする内容だった。

つまり、単に「戦争に参加しない」と確認する提案ではなかった。平時の安全保障協力と、武力を使わずに他国へ圧力をかける経済制裁まで、政策の選択肢を狭めるものだったのである。

なお、中立に関する規定がスイス憲法にまったくなかったわけではない。今回の提案は、その具体的な定義と運用を、より厳しく固定しようとするものだった。


戦争を避けるための距離か、安全を守るための協力か

支持派の訴えは、直感的に理解しやすい。

他国の対立に深入りせず、どの陣営にも加わらない。敵をつくらず、対話の窓口を保てば、自国が攻撃される危険を減らせるのではないか。戦争が長期化する欧州では、その願いに重みがある。

sternの記事によると、運動では平和のハトや「戦争反対」を前面に出した宣伝が展開された。厳格な中立を掲げることが、国民の安全を守るという主張だ。

一方、反対派は、危機が起きてから初めて協力相手を探すのでは間に合わないと考える。

平時の協力まで制限すると、いざというときに必要な連携を整えにくくなる。国を守るための中立が、国を守る手段そのものを減らすのではないかという懸念である。

両者とも「安全」を求めている。しかし一方は距離を置くことに、もう一方は協力する余地を確保することに、安全の根拠を見いだしている。

今回の投票は、その違いを浮き彫りにした。


制裁をしないことは、公平であることなのか

さらに議論を熱くしたのが、経済制裁の扱いだ。

軍隊を派遣しないことと、侵略を行った国との取引を制限しないことは、同じ判断なのだろうか。

スイス政府は、軍事的な中立に関する国際法上の義務と、状況に応じて判断する中立政策を区別している。その立場では、EUの対ロ制裁への参加は、中立の放棄には当たらない。

ここで対立するのは、「交戦国から等しく距離を置く」という発想と、「侵略した側と侵略された側を同じように扱うことは適切なのか」という問いだ。

sternの記事に登場する国際法学者ヘレン・ケラー氏は、戦争犯罪や子どもの連れ去りが起きる状況で、中立を盾に目を背けるべきではないという趣旨の見解を示している。

国連の制裁を例外として認めれば問題はない、という単純な話でもない。ロシアは国連安全保障理事会の常任理事国であり、拒否権を持つ。国連の決定を頼りにした制度では、制裁の対象となる国自身が決定を阻む問題が生じる。

その場合、自国の独立した判断を守るための厳格中立が、結果として別の大国の判断に対応を左右される仕組みになりかねない。これは、今回の案を考えるうえで見逃せない矛盾だ。


経済界が気にしたのは、取引額だけではなかった

経済制裁を避ければ、失われずに済む商売がある。支持派にも、厳格な中立が経済面で利益をもたらすという考えはあった。

しかし、経済界の判断が一方向だったわけではない。

sternが紹介した経済団体economiesuisseのモニカ・リュール氏の発言では、スイスが戦争で利益を得る国、あるいは制裁の抜け道を提供する国とみなされることへの懸念が示されている。

ここには、短期的な取引機会と、長期的な信用という二つの問題がある。

ある国との商売を維持できても、主要な協力相手から信頼を損なえば、別の不利益につながりうる。国際的な経済活動を支えるのは、契約や価格だけではない。どのようなルールを守る国なのかという評価も、その土台になる。

今回の論争は、道徳と経済のどちらを取るかという単純な二択ではなかった。信用を守ることもまた、経済の問題だったのである。


SNSでは安堵と批判、その一方で「賛成派の決めつけ」への異論も

投票結果を扱ったRedditのスイス関連コミュニティでは、否決を歓迎する投稿が複数確認できた。

 

以下は投稿の趣旨を日本語で要約したもので、直接引用ではない。また、特定のオンラインコミュニティの反応であり、スイス社会全体の意見分布を示すものではない。

目立ったのは、提案が大差で退けられたことへの安堵だ。否決を予想していても、賛成が開票途中の推計で約3割にとどまったことに驚いた、という声があった。大量の広告が支持につながらなかったことを歓迎する投稿も見られた。

批判の対象は、提案の内容だけではない。「平和」や「中立」という好意的に受け取られやすい言葉を前面に出す運動手法への反発もあった。提案名の印象と、制裁を制限する具体的な効果は分けて考えるべきだ、という問題意識である。

一方で、賛成した人を一律に親ロシアとみなすことへの反論もあった。身近な賛成者は親ロシアではなく、軍事同盟との距離を重視していたという投稿や、同盟協力と制裁という異なる論点を一つの提案に盛り込みすぎたとする意見も確認できる。

こうした反応から読み取れるのは、中立の是非だけでなく、その言葉の使われ方への不信である。ただし、投稿者が語る周囲の投票行動や運動への評価は、あくまで個人の証言・見解として受け止める必要がある。


否決は、NATO加盟への賛成票ではない

投票結果から読み取りすぎないことも大切だ。

この否決によって、スイスがNATOへの加盟を決めたわけでも、あらゆる制裁を自動的に受け入れることになったわけでもない。

政府の説明では、集団防衛に伴う義務を負うNATO加盟と、中立の範囲内で行う協力は別の問題である。EU制裁についても、スイスは個々の状況を踏まえて判断する立場を取っている。

今回残されたのは、そうした判断の余地だ。

軍事的な中立を保ちつつ、侵略や国際法違反にどう対応するか。安全保障上の協力をどこまで進め、仲介役としての信頼をどう維持するか。その答えが一度の国民投票で完成したわけではない。

それでも、70.2%の反対は明確な結果だった。少なくとも今回提示された厳格化の仕組みは、多数の有権者の支持を得られなかったのである。

中立は、世界で何が起きても判断を避けられる便利な立場ではない。武力行使に加わらない国にも、取引を続けるか、制裁に加わるか、誰と協力するかという選択は残る。

スイスが今回維持したのは、その選択を一律に封じない仕組みだった。中立を守りながら世界とどう関わるのか。その難しい問いは、投票の後も続いている。


出典URL

  1. stern/dpa(2026年9月27日):反対70.2%という結果、推進団体、賛否両陣営や専門家・経済界の発言。
    https://www.stern.de/politik/ausland/schweizer-neutralitaet--schweizer-lehnen-abschottung-durch-strikte-neutralitaet-ab-38315292.html

  2. スイス連邦政府「Neutrality Initiative」:国民発議の公式説明。軍事同盟との協力制限、制裁制限、国連制裁・制裁回避防止措置の例外、現行憲法との関係。
    https://www.admin.ch/en/neutrality-initiative

  3. スイス外務省「Fragen und Antworten zur Neutralität der Schweiz」:中立法と中立政策の区別、対ロ制裁と中立の整合性、NATO加盟と協力の違い、制裁の個別判断に関する政府見解。
    https://www.eda.admin.ch/de/fragen-und-antworten-zur-neutralitaet-der-schweiz

  4. Reddit「September 27 votes: results from across Switzerland」:結果をめぐるSNS・オンライン掲示板の反応。否決への安堵、広告への批判、賛成派を一律に親ロシアとみなすことへの反論を参照。投稿は個人の見解で、統計的な世論調査ではない。
    https://www.reddit.com/r/Switzerland/comments/1wrhwu0/september_27_votes_results_from_across_switzerland/