韓国の犬肉産業終焉、その陰で見えなくなった命

韓国の犬肉産業終焉、その陰で見えなくなった命

檻は空になった。しかし犬たちはどこへ行ったのか――韓国・犬肉禁止の陰で消えた数十万匹

韓国・ソウルの南に位置する平沢。かつて犬肉産業の一角を担っていた施設には、いま、錆びた檻と、床に置き去りにされた首輪だけが残っている。人の気配が消えた犬舎は、ひとつの産業が終わりへ向かっていることを物語っている。だが同時に、そこにはもっと重い問いが横たわる。

檻から犬がいなくなったことは、本当に救済を意味するのか。

韓国では2024年1月、犬を食用目的で飼育し、屠殺し、販売することを禁じる法律が成立した。猶予期間を経て、全面施行は2027年2月。違反者には最大で懲役3年の刑罰が科される可能性がある。犬肉をめぐる長年の議論に、国として終止符を打つ歴史的な決定だった。

かつて犬肉は、夏場の滋養食として一部で食べられてきた。だが都市部を中心にペット文化が広がり、犬を「食べ物」ではなく「家族」として見る感覚が若い世代に浸透した。国際的な視線も強まり、動物保護団体は犬肉農場の劣悪な飼育環境や屠殺方法を長年批判してきた。法律の成立は、そうした社会変化の到達点だった。

しかし、制度ができた後に浮かび上がったのは、法律そのものよりも現場の空白だった。

韓国農林畜産食品部の推計では、2024年時点で犬肉用に飼育されていた犬は40万〜45万匹に上った。ところが、2026年時点で農場に残っている犬は約2万匹とされる。単純に見れば、数十万匹が農場から姿を消したことになる。

政府は犬肉農場の早期閉鎖を促すため、農家が犬を手放す際に1匹あたり最大60万ウォンの支援金を用意した。2026年5月時点で、全国の犬肉用繁殖農場1537カ所のうち1265カ所、つまり約82%がすでに営業を停止したと発表されている。数字だけを見れば、政策は急速に進んでいる。

だが問題は、その犬たちがどこへ行ったのかを政府が十分に追跡していない点にある。

AFPの取材に対し、農業当局の検査官は、補償金を支払う前に確認するのは「農場や屠殺施設から犬がいなくなっていること」だと説明している。その後、犬に何が起きたのかまでは関与していないという。つまり、行政上の確認は「犬が施設から消えたかどうか」であり、「犬が生きて保護されたかどうか」ではない。

この差は大きい。

実際、2026年2月時点で採用された犬は623匹、保護施設に送られた犬は500匹弱にとどまると報じられている。40万匹規模の母数に対して、救済が確認された数はあまりにも少ない。もちろん、すべての犬の行方が完全に不明というわけではない。農家が個別に譲渡した例、民間団体が救出した例、海外の保護団体が引き取った例もある。しかし、国全体として見たとき、大半の犬の最終的な行き先は見えていない。

動物保護団体の間では、多くの犬が禁止の全面施行前に屠殺されたか、安楽死させられた可能性が指摘されている。犬肉産業の側にいた元農家からも、行方不明の犬たちについて「すでに食べられたのだろう」とする趣旨の発言が出ている。これは、法律が成立しても、猶予期間中に産業側が在庫を処分してしまえば、現に生きていた犬の救済にはつながらないという厳しい現実を示している。

動物保護団体CAREの関係者は、大量の犬が本当に保護・譲渡に回っていれば、団体側にもその動きが見えていたはずだと述べている。同団体は20年以上にわたり約2500匹の犬を救出してきたが、多くは海外で引き取り先を探さざるを得なかったという。韓国内では小型犬を好む傾向が強く、犬肉用に飼育されてきた大型犬や雑種犬は、家庭犬として迎えられにくい現実もある。

ここに、犬肉禁止をめぐる最も難しい論点がある。

「犬肉産業を終わらせる」ことと、「すでに農場にいる犬を救う」ことは同じではない。前者は法律で決められる。後者には、保護施設、医療、譲渡先、訓練、輸送、長期的な飼育費用が必要になる。数十万匹規模の犬を一気に受け入れられる社会的インフラは、どの国であっても簡単には整わない。

 

SNS上でも、この点をめぐって反応は大きく割れている。

Xでは、海外メディアが「犬たちはどこへ行ったのか」と報じた投稿が拡散され、動物保護に関心を持つユーザーからは「歴史的な禁止だが、犬の行方を追跡しなければ意味がない」「政府は補償金の支払い条件に、生存確認と譲渡先の記録を入れるべきだ」といった批判が目立った。法律の成立を歓迎しつつも、実際に犬が救われたのかを問う声が多い。

一方で、Redditなど英語圏の掲示板では、より冷めた見方も見られる。「犬が救われたのではなく、今後その産業のために生まれてこなくなるだけではないか」という指摘や、「禁止は必要だが、移行期間中の犬にとっては残酷な結果になった可能性がある」といった意見が投稿されている。中には、犬だけを特別視することへの違和感を示し、「豚や牛、鶏と何が違うのか」という議論も続いている。

この論点は、犬肉問題が単純な善悪の構図だけでは語れないことを示している。多くの人にとって犬は家族同然の存在だ。だからこそ犬肉産業への拒否感は強い。しかし、畜産全体を見れば、人間は他の動物を食用として飼育し続けている。SNSでは、犬肉禁止に賛成する人の中にも、「これは動物福祉全体を考える入口であって、犬だけの問題で終わらせるべきではない」とする声がある。

韓国内にも、複雑な事情はある。犬肉農家の多くは高齢で、長年その仕事で生活してきた。ある元農家は、犬肉禁止を「裏切り」と感じると語っている。政治的に決められ、十分な対話や生活再建策がないまま押しつけられたと受け止めているのだ。農家の中には、別の畜産業へ転換しようとしても許認可が遅れ、思うように進まないという不満もある。

AP通信の過去報道でも、犬肉農家側は職業選択の自由を侵害されたとして強く反発し、憲法上の争いに持ち込む姿勢を示していた。禁止に賛成する世論が強まる一方で、産業に従事してきた人々の生活再建という課題は残っている。動物保護と生活補償。この二つをどのように両立させるかは、単なる感情論では解けない。

ただし、農家への補償が必要だとしても、それが犬の行方を不透明にしてよい理由にはならない。むしろ補償制度があるからこそ、政府は「犬がいなくなった」という確認だけでなく、「どのように移送され、どこで保護され、どのように処分されたのか」まで記録すべきだった。補償金が税金で支払われる以上、その対象となった犬の扱いには公共性がある。

動物保護団体が「法の空白」を問題視するのはこの点だ。韓国では犬が牛や豚のような家畜として明確に分類されてこなかったため、犬肉産業は長らく曖昧な法的位置に置かれてきた。結果として、飼育や屠殺の現場に十分な福祉基準が及ばず、電気ショックや暴力的な方法による屠殺が指摘されてきた。今回の禁止法は、その曖昧さを終わらせるものでもある。

しかし、法が完全に施行される前の猶予期間にこそ、最も多くの命が危険にさらされた可能性がある。農場閉鎖を急げば急ぐほど、農家は犬を抱え続ける経済的理由を失う。保護施設が足りず、譲渡先も少なく、行政の追跡も不十分であれば、犬たちは制度の外側で処分されていく。産業の終焉は、必ずしも個々の命の救済を意味しない。

SNSで広がる怒りは、この矛盾に向けられている。

「禁止になったからよかった」という物語は分かりやすい。動物保護団体の長年の努力、若い世代の価値観の変化、ペット文化の浸透、国際的な批判。それらが重なり、韓国は犬肉産業を終わらせる道を選んだ。これは確かに大きな前進だ。

だが、「よかった」で終わらせるには、空の檻が多すぎる。

本来、移行政策に必要だったのは、犬の個体登録、搬出先の報告義務、保護施設への公的支援、民間団体との連携、海外譲渡の透明化、そして屠殺や安楽死が行われた場合の記録だった。どの犬が、いつ、どこから、どこへ移されたのか。最低限それが分からなければ、法律は「産業を見えなくした」だけになりかねない。

もちろん、犬肉禁止によって将来的に新たな犬が食用目的で繁殖されなくなる効果は大きい。今後、毎年何万、何十万という犬がこの産業に生まれ落ちることを防げるなら、それは確かな成果だ。Redditの投稿にもあったように、「救われる」とは、今いる犬が全員保護されることではなく、将来その運命を背負う犬が生まれなくなることだ、という見方もある。

それでも、現在すでに生きていた犬たちの行方は別の問題として残る。未来の犠牲を減らすことと、現在の犠牲を記録することは、どちらも必要だ。

韓国の犬肉禁止は、アジアにおける動物福祉の大きな転換点として記憶されるだろう。犬肉をめぐる価値観が世代とともに変わり、かつて当たり前とされた食文化が制度的に終わろうとしている。その変化は、社会が動物との関係を見直す象徴的な出来事でもある。

しかし、その歴史的な転換の陰で、数十万匹の犬が統計から消えた。救われたのか、売られたのか、殺されたのか、食べられたのか。答えは十分に記録されていない。

平沢の廃施設に残された首輪は、単なる忘れ物ではない。それは、法律が届かなかった命の痕跡だ。犬肉産業の終焉を本当の意味で「前進」と呼ぶためには、禁止の達成だけでなく、消えた犬たちの行方を問い続ける必要がある。

檻が空になったことを、私たちは簡単に救済と呼んではならない。


出典URL

France-Antilles / AFP配信。韓国で犬肉禁止を前に多数の犬が行方不明になっている問題、平沢の施設、政府推計、動物保護団体や元農家の証言に関する報道。
https://www.martinique.franceantilles.fr/actualite/international/en-coree-du-sud-des-milliers-de-chiens-disparus-avant-linterdiction-de-leur-viande-1084294.php

韓国農林畜産食品部(MAFRA)発表。2026年5月時点で犬肉用繁殖農場の約82%が閉鎖済み、2027年2月7日の全面施行、違法繁殖防止のための点検強化などに関する公式情報。
https://www.mafra.go.kr/english/756/subview.do?enc=Zm5jdDF8QEB8JTJGYmJzJTJGZW5nbGlzaCUyRjI1JTJGNTc3OTI4JTJGYXJ0Y2xWaWV3LmRvJTNG

AP通信。韓国国会による犬肉生産・販売禁止法の成立、2027年からの罰則、農家側の反発、市民の賛否、支援策をめぐる論点に関する報道。
https://apnews.com/article/south-korea-dog-meat-ban-1d813e734739c3938f28220b8d949648

Humane World for Animals。韓国の犬肉農場閉鎖支援、保護活動、約2800匹の救出実績、犬肉産業廃止に向けたキャンペーンに関する情報。
https://www.humaneworld.org/en/campaign/closing-south-koreas-dog-meat-farms

Humane World for Animalsブログ。韓国の犬肉禁止に至る背景、若い世代やペット文化、SNSの影響、社会的価値観の変化に関する解説。
https://www.humaneworld.org/en/blog/how-south-korea-achieved-dog-meat-ban

Reddit / r/worldnews。犬肉禁止を前にした犬の行方、政府指針の不足、保護団体や譲渡先に関するユーザー反応の確認に使用。
https://www.reddit.com/r/worldnews/comments/1qlalai/fate_of_half_million_dogs_unclear_as_dog_meat_ban/

Reddit / r/BeAmazed。犬肉産業閉鎖を「犬が救われた」と見る投稿に対し、実際には繁殖停止や在庫処分ではないかとするユーザー反応の確認に使用。
https://www.reddit.com/r/BeAmazed/comments/1rwdv9v/south_korea_has_decided_to_close_the_dog_meat/