16億円の農業被害と80%の廃棄肉:フードロスか、サステナブルたんぱく源か。日本人がジビエを選べない本当の理由

16億円の農業被害と80%の廃棄肉:フードロスか、サステナブルたんぱく源か。日本人がジビエを選べない本当の理由

「ジビエはちょっと怖い」その一言が生む、巨大なフードロス

「おいしいと聞くけれど、なんとなく怖い」「臭そう」「寄生虫が心配」。
ジビエ料理の話題になると、こんな反応を耳にしたことがある人は多いはずです。


一方で、山間部の農家からは別の声が聞こえてきます。
「畑を荒らすシカとイノシシはどんどん駆除されるのに、肉のほとんどが捨てられてしまう。正直、もったいないを通り越して罪悪感すらある」

日本では野生動物による農業被害額が年間16億円を超え、対策として行われる駆除も年々増えています。しかし、捕獲されたシカやイノシシの肉は8割以上が廃棄されているとされています。Phys.org


「命をいただく」という観点から見ても、「サステナブルなタンパク源」という観点から見ても、このギャップは小さくありません。

ではなぜ、日本人はここまでジビエを食べないのか――。
その心理的な“見えない壁”に、東北大学の研究チームが本格的にメスを入れました。Phys.org



心理学のフレームで「ジビエ離れ」を読み解く

今回の研究は、社会心理学でよく用いられる「合理的行為理論(Theory of Reasoned Action:TRA)」をベースにしています。TRAは、「人の行動はその行動への態度と、周囲からの社会的圧力(主観的規範)によって予測できる」という考え方です。


研究チームは、このTRAをジビエという“新しい食べ物”の文脈に合わせて拡張しました。具体的には、

  • フード・ネオフォビア(Food Neophobia)
    未知の食べ物や馴染みのない食材に対して感じる恐怖や抵抗感

  • ジビエの摂取経験の有無
    すでにジビエを食べたことがある人と、まったく経験のない人

という2つの外部要因をモデルに追加し、両者が「ジビエを食べたいと思うかどうか」にどのように影響するのかを検証しました。Phys.org


オンライン調査では、537人分の有効回答が集まり、それを統計モデル(PLS-SEM)で解析。かなり本格的な“心理×データ”研究です。東北大学



見えてきたのは「環境よりもおいしさ」「理念よりも安全」

分析の結果、ジビエへの態度はシンプルな「好き/嫌い」ではなく、いくつかの要素に分かれていることがわかりました。そこには、

  • 味・食感への期待(美味しそうかどうか)

  • 安全性・衛生面のイメージ

  • 健康に良さそうかどうか

  • 環境や動物福祉への貢献イメージ

といった複数の次元があります。


ところが、実際に「食べよう」という意図を強く押し上げているのは、環境配慮や倫理観ではなく「味」「安全性」「健康」といった“品質イメージ”だったのです。Phys.org


「環境に良いから食べよう」「フードロス削減のために食べよう」というメッセージは、確かにSNSやキャンペーンでよく見かけます。けれど、消費者の本音レベルでは、

「環境には良くても、まずかったら嫌」
「安全かどうか分からないものを、わざわざ選ばない」

という感情が優先されている、ということになります。



最大のブレーキは“知らないものは危ない”という本能

もう一つ、研究で強く効いていた要因がフード・ネオフォビアです。Phys.org


これは新奇な食べ物への抵抗感を示す心理学用語で、人類が進化の過程で身につけてきた“毒見回避本能”の名残ともいわれます。「見たことのないキノコは食べないほうが安全」、というあの感覚ですね。


今回の分析では、このフード・ネオフォビアがジビエ受容の最大の心理的ハードルとして浮かび上がりました。未知の食材に対する恐怖が強い人ほど、ジビエに対してもネガティブで、「なんとなく品質が低そう」「衛生管理が甘そう」といったイメージを持ちやすく、その結果として「食べるつもりはない」という行動意図につながっていきます。Phys.org


つまり、「よく知らないから怖い → 怖いから品質も低そうに見える → だから選ばない」という心理の連鎖が起きているわけです。



一度食べた人は“別人格”になる?

興味深いのは、ジビエをすでに経験した人と、まったく食べたことがない人では、行動のパターンそのものが変わっていたことです。Phys.org


回答者のうち、約4割は「ジビエを食べたことがある」人たちでした。この“経験者グループ”では、

  • 実際に食べたときのポジティブな体験

  • 店や自治体イベントで感じた衛生管理の安心感

  • 思ったより臭みがなく、おいしかったという驚き

などが積み重なり、品質イメージが大きく改善していました。その結果、フード・ネオフォビアの影響が弱まり、「また食べたい」「他の料理も試してみたい」といった意図につながっています。


一方、未経験グループは想像だけで判断せざるを得ません。「山の中で獲れた肉」「血の匂いがきつそう」といったイメージが、そのまま品質評価を押し下げてしまうのです。


この違いは、マーケティング的に見ると非常に示唆的です。
「ジビエ経験者をいかに増やすか」が、受け入れ拡大の鍵になりうるからです。



研究が示した“現実的な処方箋”

研究チームは、こうした分析結果を踏まえ、政策・ビジネスへの示唆として次のようなポイントを挙げています。Phys.org

  1. 徹底した品質・衛生管理の“見える化”

    • 国際基準に沿った処理施設の整備

    • トレーサビリティや衛生検査結果の表示

    • 「ジビエはちゃんと管理されている」という安心感を、パッケージやメニュー上で明確に伝える

  2. 試食機会の拡充

    • 道の駅やイベント、フェスでの試食ブース

    • 学食や社食での「ジビエの日」

    • 小さな一口体験から「意外といける」を広げる

  3. “見慣れた料理”への落とし込み

    • カレー、ハンバーグ、ボロネーゼ、丼ものなど、日常的なメニューにジビエを使う

    • 見た目・味のハードルを下げ、「普通の肉との違いが分からない」レベルから入ってもらう

  4. 環境・地域貢献は“後から効く”メッセージとして

    • 最初から「環境のために我慢して食べてください」ではなく、
      「おいしくて、結果的にフードロス削減に貢献できる」くらいの順番にする


ジビエを“特別なグルメ”としてだけ扱うのではなく、**「おいしい日常食」+「結果的にサステナブル」**という位置づけに変えていくことが重要だといえます。



SNSでは何が語られているのか

この研究成果は、東北大学の公式サイトやプレスリリースだけでなく、Asia Research News や EurekAlert! などの科学ニュースサイトを通じて世界に配信されました。東北大学


同大学の公式X(旧Twitter)、Facebook、LinkedInアカウントでもニュースが紹介され、
「日本では大量のジビエが捨てられている」「心理的な障壁をどう乗り越えるかを分析した」といったメッセージが英語・日本語で発信されています。X (formerly Twitter)

 



実際のSNS上のコメントや、同様のニュースが出た際の典型的な反応を整理すると、だいたい次のような“論点のぶつかり合い”が見えてきます。


1. 「もったいない」「サステナブルに使うべき」派

  • 「捨てるくらいなら、きちんと処理して食料に回してほしい」

  • 「輸入牛肉ばかり食べて、国産のジビエを捨てているのは矛盾している」

  • 「害獣として駆除するなら、せめて最後まで活かす仕組みを」

こうした声は、環境問題やフードロスに関心の高い層から多く見られます。「日本の食料自給率」という切り口で語られることも少なくありません。


2. 「衛生面・安全面が不安」派

  • 「山で獲った肉って、どこまで検査されているの?」

  • 「寄生虫とか病気が怖くて、子どもには食べさせたくない」

  • 「処理施設や流通ルートがどれだけ整っているのか見えない」

ここで顔を出しているのが、まさに研究で示されたフード・ネオフォビアと品質イメージの問題です。
「情報の不足」が「得体の知れなさ」を生み、それが不安につながっています。


3. 文化・倫理からの慎重論

  • 「殺す前提で“おいしくいただきましょう”というメッセージには抵抗がある」

  • 「害獣駆除という言葉の裏に、人間中心の都合の良さを感じる」

  • 「ベジタリアンではないけれど、ジビエはちょっと違う感覚」

こうした視点は、動物福祉や倫理に敏感な層から発信されることが多く、
「環境に良いからジビエを食べよう」というストレートなプロモーションに対するカウンターにもなっています。


4. 地方からのリアルな声

一方で、地方・山間部のユーザーからは、

  • 「夜中にイノシシが出てきて、畑を一晩で全滅させられる」

  • 「駆除は必要。でも処理施設が遠くて、結局埋設せざるをえない」

  • 「ジビエ加工所ができて、地域に少しお金が回るようになった」

といった“現場目線”のツイートや投稿も目立ちます。

研究が指摘するように、ジビエは「生態系管理」「地域産業」「食文化」が重なり合う複雑なテーマであり、SNS上の議論もそれを反映して多層的になっています。東北大学



「怖さ」を乗り越えるデザイン――現場でできること

では実際に、自治体や飲食店、加工業者は何から始めればいいのでしょうか。
研究の示唆を踏まえつつ、現場レベルで取り組めそうなアイデアをいくつか挙げてみます。

  1. 「初めての一口」を徹底的にデザインする

    • 臭みの少ない部位・調理法を選ぶ

    • 調味は“いつもの料理”に寄せる(カレー、シチュー、ミートソースなど)

    • 「これは鹿です」と最初から強調しすぎず、「ちょっとヘルシーな赤身肉」くらいの距離感から紹介する

  2. ストーリーとセットで伝える

    • 「このシカは〇〇町の畑を荒らしていた個体です」

    • 「この一皿で、農家の被害を〇〇円分減らせました」

    • 「処理施設では、家畜と同レベルの衛生基準で検査しています」

  3. ネガティブイメージを“正面から”扱う

    • Q&A 形式で「寄生虫は大丈夫?」「どんな検査をしている?」を丁寧に解説したリーフレットやWebページを作る

    • 店内ポップやメニューで、検査・処理工程を図解する

  4. 経験者コミュニティを育てる

    • リピーター向けの限定メニューやイベント

    • SNSでの「#初めてのジビエ」「#ジビエ意外とおいしい」キャンペーン

    • 体験談をシェアすると、次回ドリンク無料などのインセンティブ

「環境に良いから食べなさい」という“上から目線”ではなく、
「ちょっと勇気を出して一口食べてみたら、普通においしかった」という成功体験をどう増やすかが勝負どころです。



世界の「新しい食文化」とのつながり

近年は、オフal(内臓肉)の価値再発見や、代替肉・培養肉など「サステナブルなタンパク源」を巡る議論が世界中で活発化しています。Phys.org


その流れの中で、日本のジビエ問題はかなりユニークな位置にあります。

  • すでに「害獣」として大量の資源が“存在”している

  • それを活用できれば、輸入肉依存を一部和らげるポテンシャルがある

  • しかし、心理的ハードルが高く、需要が伸びない

つまりこれは、テクノロジーや新素材の問題というより、**「人の心の問題」**なのです。
だからこそ、心理学のフレームで分析した今回の研究は、世界的にも意味のあるケーススタディになっています。Phys.org



「知らない」を「ちょっと知っている」に変える一歩

結局のところ、ジビエを巡る最大の壁は「よく知らない」という状態です。

  • どこで獲れたのか分からない

  • どんな処理をされているのか分からない

  • どんな味なのか分からない


分からないから怖くなり、怖いからネガティブに見えてしまう――このループを断ち切るには、
情報と経験の両方を増やすしかありません。

東北大学の研究は、「人はどんな情報に反応し、どんな経験をすれば行動が変わるのか」を可視化してくれました。Phys.org


あとはその知見を、自治体や飲食店、流通業者、そして私たち一人ひとりの選択にどう落とし込むかです。


あなたがもし、まだジビエを食べたことがないなら――
いつかどこかで、「一口だけなら」と勇気を出してみる日が来るかもしれません。
その小さな一歩が、山の農家や地域の生態系、そして日本の食の未来を、少しだけ違う方向に動かすきっかけになるかもしれないのです。



参考記事

研究により、日本におけるジビエ消費の主な心理的障壁が明らかに
出典: https://phys.org/news/2025-12-reveals-key-psychological-barriers-game.html