「忙しい人」が勝つとは限らない。“頑張るほど損をする”時代に、怠けるCEOが強い理由

「忙しい人」が勝つとは限らない。“頑張るほど損をする”時代に、怠けるCEOが強い理由

「怠け者のCEO」が、なぜ今の時代に強く見えるのか

“Lazy CEO”という言葉を最初に聞くと、多くの人は反射的にムッとするはずだ。現場で手を動かし、会議に追われ、チャットに返事をし、気づけば一日が終わっている人ほど、「怠ける経営者」なんて言葉に違和感を覚える。だがこの言葉の狙いは、怠惰の礼賛ではない。むしろ逆だ。仕事を抱え込み、忙しさで自分の価値を証明しようとするリーダーほど、組織の成長を止めてしまう。そんな逆説をあえて強い言葉で突いている。


この考え方を体現する存在として語られるのが、オーストラリア発ファッションブランドShowpoの創業者Jane Luだ。Showpoの公式プロフィールでは、彼女のSNSハンドル「The Lazy CEO」は10年以上続く自己表現であり、その哲学は“work smart, not hard”だと説明されている。さらに本人の教育サイトでは、Jane Luは年商1億ドル超規模のグローバルブランドを築いた創業者として紹介されている。つまり“Lazy”は、努力しないことではなく、努力の使いどころを見極める姿勢としてブランド化されている。


実際、Jane Luの発信を追うと、彼女が推しているのは「気合い」より「設計」だ。2025年5月配信のポッドキャスト回では、過重労働と圧倒感に飲まれている人に向けて、時間を節約する9つの習慣を紹介し、“忙しさを美化しないこと”“反応型の働き方に落ちないこと”、**“マルチタスクが集中を殺すこと”**を語っている。要するに、すべてに即応する人が優秀なのではなく、何に反応しないかを決められる人のほうが、長く強いという考えだ。


この発想がいま支持されるのは、働く人の多くがもう限界を知っているからだろう。WHOはバーンアウトを「うまく管理されなかった慢性的な職場ストレスによる症候群」と定義しており、エネルギーの枯渇、仕事への心理的距離、職業的効力感の低下を特徴としている。またWHOとILOは、週55時間以上の長時間労働が心疾患や脳卒中リスクの上昇と関連すると報告している。つまり“もっと頑張れ”は、もはや根性論では済まない。長く働くこと自体が、成果どころか健康と判断力を削る可能性がある。


だからこそ、“Lazy CEO”の本当の問いは「どうすれば楽をできるか」ではない。どうすれば、自分がいなくても回る状態を作れるかだ。会議のたびにCEOの判断が必要、採用も営業も最終判断も結局トップ待ち、問題が起きるたびにトップが現場に降りる。そんな会社は、一見すると経営者がよく働いているようで、実際には組織が育っていない。リーダーが頑張るほど、チームが自走しない。だから“怠ける”とは、トップが手を抜くことではなく、トップしかできない仕事に自分を戻すことなのだ。


 

SNSでも、この考え方に共感する声は少なくない。Jane LuがNotion活用について投稿したLinkedInでは、「一か所に情報を集めることで混乱から抜け出せる」「成長に必要な余白ができる」「仕事も生活も整理できる」といった反応が並んだ。別のLinkedIn投稿では、「成果は時間に比例しない。レバレッジと仕組みと運が結果を左右する」「一つの採用、一つの基準、一つのプロセス改善が、何十時間分もの残業より効く」という主張も支持を集めている。ここで好まれているのは、“ラクすること”そのものではなく、疲弊せずに成果を再現できる構造だ。


さらに“Lazy CEO”という言い方を肯定的に受け止める経営者コミュニティもある。たとえばLinkedIn上では、あるビジネスコーチが49人のCEO調査をもとに、「最大のボトルネックは市場ではなく自分自身だった」「成長している企業は人を増やす前にシステムを作っている」と発信している。そこでは、CEOが“戦士”ではなく“設計者”になること、つまり自分が全部やるのではなく、誰がやっても一定品質で動く仕組みを作ることが成長の条件として語られていた。


ただし、SNSの空気は一枚岩ではない。反発もはっきりある。Redditの起業系コミュニティでは、「スマートに働けるようになるまでに、まず膨大なハードワークが必要」「怠け者のままで成功したわけではない」といった意見が目立つ。またLinkedInの別投稿でも、「“lazy franchisee”で成功した人には会ったことがない」と冷ややかに切り返すコメントがついていた。ここにあるのは単なる精神論ではなく、“賢く働く”という言葉が、しばしば地道な努力や現場の負荷を見えなくすることへの警戒だ。


この反発はもっともだ。なぜなら、“働き方を設計できる人”と“今日のシフトや納期に縛られる人”では、自由度が根本的に違うからだ。経営者や知的労働者は、仕組み化や委任、AI活用、ツール導入で時間を圧縮しやすい。だが接客、物流、介護、製造、医療のような現場では、身体がそこにあること自体が価値になる仕事も多い。そういう現実を無視して「賢くやればいい」は乱暴だ。“楽をする技術”が成立するのは、すでに裁量や資源がある程度ある人たちだという、階層差の問題は残る。


それでもなお、“Lazy CEO”論に価値があるとすれば、それは私たちの中にある**“忙しそうにしていないと不安”**という感覚を暴いてくれるからだ。返信が早い、会議が多い、夜遅くまでオンライン、休日も動いている。そんな“見える努力”は評価されやすい。だが、それで会社が強くなるとは限らない。むしろ本当に強い組織は、トップが不在でも意思決定が流れ、現場が萎縮せず、情報が散らからず、優先順位が共有されている。そこでは、頑張っている人より、詰まりを見つけて流れを良くする人が価値を持つ。


結局のところ、“Lazy CEO”とは、仕事をナメる人ではない。忙しさを信仰しない人だ。自分がヒーローにならなくても回るように組織を作り、全部に手を出す代わりに、本当に効く数か所へ力を集中させる。そんな働き方は、きれいごとに見えて、実はかなり厳しい。なぜならそれは、「私がやったほうが早い」「頑張っている自分でいたい」「手放すのが怖い」という感情を捨てることでもあるからだ。


“怠ける”とは、もしかすると最も高度な自制なのかもしれない。働きすぎれば安心できる時代は、もう終わりつつある。これから問われるのは、どれだけ長く働いたかではない。どれだけ、無駄に働かずに済む仕組みを残せたか。


それができる人だけが、これからの時代に本当に“働ける人”になるのだろう。


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