旅情と違和感の同居:日本を舞台にした“西洋向け”ドラマは何を取りこぼした?

旅情と違和感の同居:日本を舞台にした“西洋向け”ドラマは何を取りこぼした?

“レンタル家族”は、なぜ物語になるのか

家族や友人を「借りる」――その言葉だけで、背徳感と切実さが同時に立ち上がる。映画『Rental Family』は、まさにこの矛盾を燃料にして走る。舞台は現代の東京。主人公フィルは、役者としてのキャリアも人生の目的も見失ったまま日本に“居着いた”米国人俳優で、ある日「レンタル家族」エージェンシーに雇われる。葬儀で泣く人、結婚式の参列者、父親役……依頼主が必要とする“関係性”を、演技で差し出す仕事だ。


この設定が刺さるのは、奇抜だからだけではない。現実にも、友人・家族・同僚・恋人の代役を提供する「プロのスタンドイン」サービスが存在し、日本では1990年代初頭からビジネスとして語られてきた。

 
つまり本作は、完全なフィクションでありながら、現実の“孤独のインフラ”に足を乗せている。


絵葉書のように美しい日本、しかし“深さ”は別問題

BusinessWorld Onlineのレビューが言い当てているのは、本作が「心温まる人間関係」と「日本文化の説明」の両方を背負い、結果としてどちらも中途半端になってしまう危うさだ。東京の都会の光、祭りの鮮やかさ、寺院の静けさ、校庭の桜、忘れられた田舎の緑――ロケーションは豊富で、まるで旅行記や絵葉書の連なりのように観客を運ぶ。けれど「景色が多い=文化が深い」ではない。レビューはそこに不満を残す。


この“絵葉書感”は、作品の魅力でもあり、弱点でもある。観客は「東京という都市の気配」を浴びる一方で、なぜ人々が代役を必要とするのか、そこにある体面・羞恥・規範・労働観といった背景が、踏み込みきらないまま通り過ぎる。結果、優しい手触りは残るが、問いの鋭さは鈍る。


主人公フィルの“優しさ”が映画を成立させている

本作の中心は、ブレンダン・フレイザーの人当たりの良さだ。BusinessWorldは「不器用でも好感の持てる人物」としてフィルを描き、観客の共感を支えるのはフレイザーの“ビッグハート”だとする。

 
別媒体でも、彼が“感情の羅針盤”として映画を成立させているという評価が見られる。


ただし、ここに落とし穴がある。フィルが善良であればあるほど、彼の仕事は倫理的に危うくなる。子どもに父親として接する、失われた誰かの穴を“演技”で埋める、依頼主の人生の真ん中に入っていく――優しさが強いほど、嘘の代償も大きい。


「現実なら訴訟だらけ」問題と、物語の“都合の良さ”

BusinessWorldのレビューが痛烈なのは、「(サービスが実在しても)映画の出来事の多くはフィクション化され、その不整合が目立つ」と指摘している点だ。さらに“法律の観点から見たらツッコミどころが多すぎる”という趣旨で、あまりに詐術が多いのに、結果としての責任や帰結が掘られないことを問題視する。


ここは、観客の好みが真っ二つに割れるところだ。

  • 「映画は寓話だから、リアリティよりも感情の到達点が大事」

  • 「寓話でも、嘘が人を傷つける現実に触れるなら、代償の描写が必要」


Guardianの批評は後者に近い。「気持ちよく泣かせる方向に流れすぎ、根本の不快さ・責任の重さが曖昧になる」と厳しい。


それでも“効く”場面がある――音楽と演出の魔法

弱点があっても、映画は時に“瞬間”で勝つ。BusinessWorldは、ヨンシー(Sigur Rós)とアレックス・ソマーズのシンセを効かせたスコアが、物語全体のムードを運ぶと評価している。

 
公式にサウンドトラックとしても展開されており、音の世界観を作品の柱として推していることがうかがえる。

また、ABCの取材では、監督Hikariとフレイザーが長時間の対話から作品の基調を作ったことが触れられ、映画の核心に「あなたはそれで十分」というメッセージが置かれているとも伝えられる。

 
この“肯定”が、観客の涙腺を直接叩く。だからこそ、理屈の穴を承知で乗ってしまう人がいる。


“西洋目線”の日本描写――褒め言葉にも、棘にもなる

本作はSearchlightによる米国プロダクションで、BusinessWorldは「分かりやすい語り口が求められたのかもしれない」と書く。

 
Timeの記事では、監督Hikari自身が「日本で“トークン白人”を置いたらどう見えるか」を意図として語っている。
つまり本作は、異文化摩擦を“外側の視点”から組み立てる設計だ。


この設計は、海外の観客に届きやすい一方で、「日本が“便利な舞台装置”になっていないか」という疑念も生む。BusinessWorldは「観客が“少し日本人になった気分”で帰れるような、基本的で陳腐な教訓を提供しようとしている」と辛口に表現している。
刺さる人には“優しい観光”、刺さらない人には“表層の日本”に見えてしまう。



SNSの反応:甘さに救われた人、甘さに醒めた人

公開後のSNS(映画SNS/掲示板)の空気は、作品そのものと同じく「温かさ」と「違和感」で二分されている。

1) “泣いた・笑った・癒やされた”派

映画SNSのLetterboxdでは、「笑いすぎて頬が痛い」「泣いて笑った」「フレイザーにゲーム相手を頼みたい」など、主演の人柄をそのまま作品の魅力として受け取る反応が目立つ。
Redditの議論でも、「シニカルじゃないのが良い」「人とのつながりの力を信じさせてくれる」と、映画の“善意”を評価する声が見られる。


この層にとって『Rental Family』は、重いテーマを“救い”に変換する装置だ。現実がぎすぎすしているほど、映画の優しさが効く。


2) “甘すぎる・都合が良すぎる”派

一方で、同じくSNS上には「サップ(感傷過多)」「設定の倫理が曖昧」「西洋向けの作り」といった冷めた声も並ぶ。Redditでは「観客受けは良いが絶賛が足りない」「賞レース的には忘れられそう」といった温度感のコメントも見える。

 
批評メディアの厳しい論調(“作り話の無責任さ”を問題視するなど)とも共振しており、作品が抱える弱点がそのままSNSの不満点になっている。


3) “設定は面白い、でも深掘りが欲しい”派

さらに多いのが中間層だ。「良かった、でももっと踏み込めたはず」という感想。まさにBusinessWorldが指摘した“深さ不足”を、観客側も直感的に感じ取っている。

 
この層は、映画を否定しない。むしろ設定の可能性を信じているからこそ、惜しさが残る。



では、この映画をどう受け取ればいいのか

『Rental Family』は、現代の孤独を“サービス”として提示する現実と、映画が提供する“物語の救い”の間に立つ。

  • 現実:代役は便利だが、発覚したとき人は傷つく

  • 物語:傷つく可能性を抱えたまま、それでも人が人を必要とする


Guardianが問題視したのは、前者の痛みを軽く扱いすぎる点だ。

BusinessWorldが気にしたのは、文化の深層に降りずに“美しい場面”を積み上げてしまう点だ。
Timeが照らしたのは、そもそもこの産業が“つながりの不足”に応答して広がってきたという背景だ。


だから観客は、「日本らしさが描けたか」だけでなく、「自分の孤独に、この甘さは必要か」を問われる。
もし今、誰かに“存在を見つめ返してほしい”と思っているなら、この映画は効く。
もし今、嘘がもたらす責任に敏感なら、この映画は引っかかる。


その両方が同時に起きるからこそ、『Rental Family』は賛否が割れながらも語られ続ける。



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