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イーロン・マスク「高い確率で現実はシミュレーション」発言 - 僕らは本当に“ゲーム内キャラ”なのか?

イーロン・マスク「高い確率で現実はシミュレーション」発言 - 僕らは本当に“ゲーム内キャラ”なのか?

2025年12月03日 12:22

1. ポッドキャストで飛び出した「かなり高い確率」発言

イーロン・マスクがまたしても世界のタイムラインをざわつかせた。


きっかけは、インドの起業家ニキル・カマトがホストを務めるポッドキャスト「People by WTF」。最新エピソードでマスクは、「僕らがシミュレーションの中にいる“確率はかなり高い”」と語ったのだ。The Economic Times


スポーツキーダの記事によれば、マスクはそこでゲームの進化を持ち出す。かつては2本の棒と1つの点で成り立つ「ポン」のようなゲームしかなかったが、今では光と影まで再現するフォトリアルな3Dゲームが当たり前になった。VRヘッドセットをかぶれば、仮想空間の中で手を伸ばし、物を掴み、歩き回ることすらできる。スポーツキーダ


その流れをそのまま未来に伸ばすと、「現実と区別がつかないゲーム」が作られるのは時間の問題だ――マスクはそう考える。もし高度な文明がそうしたシミュレーションを大量に作るのだとしたら、「僕らが“元の世界”にいる確率はむしろ低いのではないか」。これは、以前からマスクが繰り返し語ってきた論理だ。2016年のカンファレンスでも「ベース現実にいる確率は10億分の1」とまで言い切っていた。The Verge


今回の発言は、インド発のポッドキャストで語られたことでアジア圏でも一気に拡散し、「現実はゲームか?」という話題が再びホットになった。



2. シミュレーション仮説ってそもそも何?

マスクの発言の背景には、哲学者ニック・ボストロムが提唱した「シミュレーション仮説(simulation hypothesis)」がある。ウィキペディア


超ざっくり言うと、この仮説は次のような三つ巴を提示する。

  1. 高度な文明であっても、人間レベルの意識を持つシミュレーションを作ることは技術的に不可能

  2. 技術的には可能だが、倫理などの理由で、そうしたシミュレーションを作らない

  3. 技術的にも倫理的にもGOサインが出て、膨大な数の“人間シミュレーション”が作られる


もし③が成り立つなら、「本物の現実」は1つしかないのに対し、シミュレーション世界は膨大な数存在する。そうなると、「自分がたまたま“本物の現実”側にいる」より、「どこかのシミュレーションの住人である」確率の方がはるかに高いのではないか――というわけだ。ウィキペディア


マスクはこのボストロム流の議論に魅了され、「ゲームが進化すればするほど、シミュレーション仮説の説得力は増す」と考えている。Vox



3. SNSは「ネタ」と「不安」と「哲学」がごちゃ混ぜに

今回の発言をめぐり、X(旧Twitter)やInstagramではさまざまな反応が見られた。代表的なパターンをいくつか拾ってみよう。


(1) ミームとジョークで消化する人たち

もっとも目についたのは、マスクの発言を“ネタ化”するポストだ。

  • 「今日もバグだらけの日本、完全にシミュレーションのデバッグ版では?」

  • 「電車遅延 →『ラグい』『サーバー落ちた?』で全部説明できる世界線」

  • 「マスク『高確率でシミュ』 ぼく『じゃあこのガチャ運の悪さ、運営に問い合わせていいですか』」

ある投稿では、「マスクがシミュレーション理論を再燃させたせいで、インターネット全体がまた存在論のスパイラルに入った」と皮肉混じりに書かれていた。X (formerly Twitter)

 


「#Matrix」「#WeAreNPCs」といったハッシュタグも並び、現実を“ネタとして疑う”態度が、ある種の気分転換として機能しているようにも見える。


(2) 「テック楽観派」はむしろワクワク

一方で、テック寄りのアカウントからは、「そういう未来を本当に作る側になりたい」という声も多い。

  • 「もし人類が現実と区別つかないゲーム世界を作れるなら、それ自体が人類史最大のアートでしょ」

  • 「シミュかどうかはともかく、AIとゲームが合体した未来は見てみたい」

マスクが同じポッドキャストで語った「AIが映画やゲーム制作を席巻する未来」に触れつつ、「だったらシミュレーション地球シーズン2もAIがつくるのかな」と冗談交じりに語る投稿もあった。medial.app


(3) 「また話をそらしている」と見る批判派

もちろん、全員が楽しんでいるわけではない。

  • 「現実がシミュかどうかより、テスラのリコールとXのヘイトスピーチ問題をどうするかの方が“現実の課題”では?」

  • 「シミュレーションだと言えば、格差や環境問題を『ゲームバランス』として片付けられるのか」


こうした批判は、マスクが過去にも同様の発言を繰り返してきたことや、プラットフォーム運営をめぐる議論が絶えないこととセットで語られることが多い。Vox


(4) 哲学・科学クラスタは一気に“沼”モードへ

さらに、哲学や科学が好きな層は、ここぞとばかりに議論を深掘りする。

  • 「デカルトの“悪霊”からボストロムのシミュレーションまで、結局ずっと同じ問いを反復しているだけでは?」

  • 「そもそも“シミュレーションであること”を検証できない仮説に、どこまで科学的意味があるのか」


Redditの議論や論文にリンクしながら、確率論や物理法則の観点から「本当にそんなシミュレーションは可能なのか?」を真面目に検討する人も多い。Reddit



4. 科学はなんと言っている? 「50%以下」「ほぼ不可能」という見方も

マスクのように「かなり高い確率」と語る人がいる一方で、科学者たちの中にはかなり慎重な立場をとる人もいる。


天文学者デヴィッド・キッピングは、ボストロムの議論をベイズ確率で再検討し、「現時点で、僕らがシミュレーション内にいる確率は50%未満」と結論づけている。技術的な実現可能性そのものが不確かである以上、「圧倒的にシミュ側が有利」とまでは言えないというのだ。arXiv


さらに2025年には、宇宙全体や地球レベルの世界を高精度でシミュレートするには、情報とエネルギーの観点から“ほぼ不可能なほどのリソース”が必要になる、と主張する論文も発表された。私たちの宇宙と同じ物理法則を持つ上位宇宙が、この宇宙をシミュレートするのは事実上不可能だという。arXiv


こうした研究は、「シミュレーション仮説は面白いが、そのまま信じ込むのは危険」という冷却効果も持っている。
マスクの発言はキャッチーだが、その背後には「本当にそんな計算ができるのか?」というハードな物理・情報科学の問題が横たわっている。



5. なぜ僕らは「シミュかもしれない」という話が好きなのか

それでもなお、マスクの一言でネットがここまでざわつくのはなぜだろうか。

  1. テクノロジーと“神の視点”への憧れ
    ゲーム開発者やエンジニアにとって、「世界そのものをプログラムする」という発想は究極の創造行為だ。
    もし自分たちがいつか「現実と区別がつかない世界」を作れるなら、いま自分が生きている現実も「誰かの作品かも」と考えたくなる。

  2. コントロールできない世界への言い訳
    パンデミック、戦争、気候変動、格差拡大……どうしようもない出来事が立て続けに起こる中、「これはゲームのシナリオだ」と思えば、少し気が楽になる。
    「バグった世界」「運営がクソ」といった言い回しがSNSで好まれるのは、その裏に無力感と諦めが混ざっているからかもしれない。

  3. 古くて新しい“意味”への問い
    「もしシミュレーションなら、人生に意味はあるのか?」という問いは、結局「なぜ生きるのか」という昔ながらの哲学的問いのアップデート版でもある。
    マスクは子どもの頃から“意味”を求めて哲学書を読み漁ったと語っており、今回の発言もそうした個人的な背景と無縁ではないように見える。The Singju Post


6. 「シミュかどうか」にかかわらず、変わらないこと

ここまで見てくると、シミュレーション仮説は「正しいかどうか」以上に、僕らの不安や希望、テクノロジーへの憧れを映し出す鏡のような役割を果たしているように思える。


もし本当にシミュレーションの中にいるのだとしても――

  • 目の前の人にやさしくするかどうか

  • 環境を壊すか守るか

  • 他人を“NPC”として雑に扱うか、ひとりの主体として尊重するか

これらはやはり、僕ら自身の選択に委ねられている。


ゲームであれ現実であれ、「プレイしている時間」が有限であることだけは共通だ。
むしろシミュレーションだと仮定するなら、「今この瞬間」をどう使うかという問いは、より鋭く僕らに突き刺さってくる。


マスクの発言は、AIやゲームが作る“もう一つの世界”を想像させると同時に、「だったら、今プレイ中のこのステージをどうクリアする?」という、とても現実的な問いを投げかけているのかもしれない。



参考記事

イーロン・マスク、人類が「シミュレーション」の中にいる可能性を示唆、ビデオゲームの進化を引き合いに出す
出典: https://www.sportskeeda.com/us/podcasts/news-elon-musk-suggests-humanity-inside-simulation-cites-advancements-video-games

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