「AIががんを治すから、たばこを吸う」? 米テック界の発言が映す“未来への過信”

「AIががんを治すから、たばこを吸う」? 米テック界の発言が映す“未来への過信”

「いつかAIががんを治してくれる。それなら、今たばこを吸っても問題ないのではないか」

未来の技術への期待が、現在の健康リスクを引き受ける理由になる。そんな考え方をめぐり、米テック界の発言が話題になっている。

米メディアGizmodoは10月12日、AIへの強い信頼を背景に喫煙する人がいるという話を取り上げた。ただし、同記事が最初から注意を促しているように、これをそのまま「AI研究者の間で喫煙が大流行」と受け取るのは早計だ。

今回考えたいのは、奇抜な行動をする人が何人いるのかだけではない。医療の進歩への期待が、どのようなときに「今は健康を気にしなくていい」という思い込みへ変わってしまうのか、という問題である。


発端は、AIへの過信を批判する発言だった

Gizmodoによると、きっかけはパランティアの最高技術責任者、シャム・サンカー氏がCBSの番組「Face the Nation」で語った内容だった。

同氏は、AIをほとんど信仰のように捉える姿勢を批判する文脈で、AIへの信頼の強さを周囲に示すために喫煙を始めた研究者がいる、という趣旨の話をした。

その理屈は、自分ががんになるころにはAIが治療を可能にしているはずだから、あえて喫煙することで未来への確信を示す、というものだ。

ここで押さえておきたいのは、サンカー氏が喫煙を勧めたわけではないことだ。Gizmodoはこの発言を、AIへの行き過ぎた期待に警鐘を鳴らすものとして紹介している。

また、記事中には、この行動がどの程度広がっているのかを示す調査や統計はない。誰が何人、どのような理由で喫煙を始めたのかも明確ではない。

発言が実際にあったことと、発言の中で描かれた現象が広範に存在することは、別々に確かめる必要がある。


「たばこが仕事の武器」という話と、AIへの期待が混ざっている

Gizmodoは、関連する報道として、シリコンバレーの喫煙を扱ったBusiness Insiderの記事にも触れている。

同記事で紹介されていたのは、テック業界の一部で紙巻きたばこが仕事や交流の場に登場し、生産性を高める手段のように語られているという話だった。

その中で、起業家のアヴィ・シフマン氏は、自身の喫煙について、肺がんになるころにはAIロボットが治せるようになっているはずだ、という趣旨の発言をしていたという。

ただし、ここには異なる話が重なっている。

仕事の区切りとして吸うこと。仲間との交流のために吸うこと。集中できると本人が感じていること。そして、将来の治療を当てにして吸うこと。それぞれ、動機も確かめるべき点も違う。

ある起業家の発言が印象的だからといって、それを業界全体の健康観や、研究者集団の共通認識に広げることはできない。「未来をつくる人たちが吸っている」という物語は目を引くが、喫煙の安全性や仕事上の効果を示す証拠にはならない。


SNSの反応は、冗談めいた投稿と強い楽観論

Gizmodoが紹介したX上の反応には、少なくとも二つの異なる温度感がある。

一つは、サンカー氏の発言を取り上げた投稿に対し、これからたばこを吸い始めようか、という趣旨で反応した「@beep1984」の投稿だ。記事自体も、冗談の可能性を含めて扱っている。

もう一つは、Mohammed Fayaz Salim氏による、自分にも当てはまるという趣旨の投稿だった。同氏は、2030年代にはほぼどんな健康問題も解決されると考えるようになってから、健康上のリスクに対して以前より無頓着になったと述べたという。

後者から読み取れるのは、将来の医療への確信が、現在の行動や警戒心に影響しうるということだ。ただし、これは本人の見通しであって、医学的に確立した予測ではない。

なお、ここで紹介しているSNSの反応は、Gizmodoが掲載した投稿の要約である。投稿者の本心や実際の喫煙行動、SNS全体での賛否の割合までは確認できない。

短い投稿では、皮肉、仲間内の冗談、挑発、本気の信念が似た言葉で表れる。「吸い始める」と書いた人が本当に吸ったのかも分からない。反応を紹介する側にも、この曖昧さを残しておく姿勢が必要だ。


AIが医療を進める可能性はある。問題は、そこから何を結論にするか

AIががん研究に役立つという期待には、実際の研究上の裏付けがある。

米国立がん研究所(NCI)は、AIの活用領域として、画像を使った検出・診断の支援、腫瘍の特徴の解析、新しい薬の開発支援などを紹介している。大量のデータからパターンを見つける技術は、研究者や医師の仕事を助ける可能性がある。

ただし、「研究や診療の一部を改善する」ことと、「将来、自分がかかる病気を確実に治す」ことの間には、大きな隔たりがある。

画像から異常を見つけやすくする技術は、それだけで病気を治す技術ではない。薬の候補を見つけることも、その薬が人に安全かつ有効に使えると確認することとは異なる。NCIも、研究から実際の診療へつなげる際の検証や、患者にとっての利益の評価を課題に挙げている。

少なくとも、今回の記事で紹介された逸話やSNS投稿は、「2030年代には、ほぼすべての健康問題が解決する」という見通しを裏付けるものではない。


「治せるはず」の中に隠れた、いくつもの条件

将来の医療を当てにして現在のリスクを増やす判断には、複数の仮定が含まれている。

自分が病気になる前に治療法が完成すること。その治療が自分の病気にも効くこと。必要な時期に受けられること。そして、治療までの間に生じる苦痛や生活への影響も、許容できる範囲に収まることだ。

新技術への期待だけでは、これらを一つずつ保証できない。

仮に将来、ある病気の治療成績が大きく改善しても、その病気にかかる負担まで消えるとは限らない。診断を受けるまでの不安、通院に必要な時間、仕事や家族との生活への影響など、考えるべきことは治療の成否以外にもある。

「いつか治せる」と「今、リスクを増やしてよい」は、同じ意味ではないのである。

喫煙で考えるべきなのは、肺がんだけではない

今回の話題では、喫煙のリスクが「将来、肺がんになるかもしれない」という一点に縮められがちだ。

しかし、国立がん研究センターは、喫煙が肺がんをはじめとするさまざまながんの原因になることを説明している。本人が吸わなくても、たばこの煙にさらされる受動喫煙は肺がんの原因になる。

WHOも、たばこの健康被害として、がんに加えて心血管疾患や呼吸器疾患などを挙げている。

つまり、仮に肺がんの治療が進歩したとしても、それだけで喫煙に伴う健康問題がすべて解消されるわけではない。

また、自分は未来の治療に賭けるつもりでも、周囲の人まで同じ賭けに参加したわけではない。喫煙を個人の信念の表現として語るとき、他者への影響が抜け落ちないようにしたい。


日本の読者が確認したい「未来の医療ニュース」の読み方

この話題は、米テック業界だけの珍しい逸話として片づけられない。日本でも、新しい医療技術のニュースに触れたとき、期待の大きさと実際に分かったことを分けて読む必要がある。

例えば、「AIががん治療を変える」という見出しを見たら、次の点を確認したい。

  • 改善したのは、発見の精度、診断の速さ、薬の候補の探索、それとも患者の治療結果なのか。
  • 根拠は、企業や起業家の将来予測なのか、研究結果なのか。
  • 研究段階の成果なのか、実際の診療で効果が確認されたものなのか。
  • 対象となる病気や患者の条件は、どこまで限定されているのか。

これは、AIの可能性を小さく評価するための作業ではない。進歩の中身を正確に理解するための作業だ。

期待できる成果があるからこそ、その成果がまだ示していないことまで付け加えない姿勢が求められる。


未来への期待と、今できる予防は両立する

AIを信じることと、現在の健康を守ることは両立する。

国立がん研究センターは、現在たばこを吸っている人も、禁煙によってがんになるリスクを下げられると説明している。また、禁煙による健康上のメリットには、比較的早く現れるものと、長い時間をかけて現れるものがある。

すでに吸っている人に必要なのは、未来を楽観したことへの非難ではない。やめたいと思ったときに、医療機関などの支援につながれることだ。日本では、条件を満たす場合、保険診療による禁煙治療も受けられる。

今回の逸話で問われているのは、AIに期待してよいかどうかではない。まだ実現していない未来を、現在の健康判断の保証にしてよいかどうかである。

医療が進歩する未来を望みながら、その未来を迎える自分の健康も守る。その二つを、引き換えにする必要はない。


出典・参考資料

  1. Gizmodo:サンカー氏の発言、関連するBusiness Insider報道、X上の投稿2件の紹介、および「流行」と断定しないという論点の出典。
    https://gizmodo.com/based-ai-people-are-supposedly-smoking-because-ai-will-cure-cancer-2000824991

  2. 米国立がん研究所(NCI):AIによる検出・診断支援、腫瘍解析、創薬支援と、臨床導入に向けた課題を解説。2020年更新の背景資料として参照。
    https://www.cancer.gov/research/areas/diagnosis/artificial-intelligence-archiveNCI

  3. 国立がん研究センター「たばことがん」:喫煙とさまざまながん、受動喫煙と肺がん、禁煙によるリスク低減について。
    https://ganjoho.jp/public/pre_scr/cause_prevention/smoking/index.htmlganjoho.jp

  4. WHO「Tobacco and nicotine」および「Effects of tobacco on health」:たばこの健康被害、受動喫煙、心血管・呼吸器疾患などに関する解説。
    https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/tobacco
    https://www.who.int/europe/news-room/fact-sheets/item/effects-of-tobacco-on-healthwho.int

  5. 国立がん研究センター「禁煙による健康への効果」:禁煙後の健康上のメリットと、禁煙治療に関する案内。
    https://ganjoho.jp/public/pre_scr/cause_prevention/smoking/tobacco07.html