研究費だけでは人は残らない ドイツの大学論争から考える日本の研究力

研究費だけでは人は残らない ドイツの大学論争から考える日本の研究力

新しい発見には時間がかかる。しかし、その発見を目指す研究者の雇用には、先に期限が来る。

ドイツの大学をめぐる論争は、日本にとっても考えさせられる内容だ。研究力を高めたい。優秀な人材を集めたい。独創的な成果を生み出したい。そうした目標と、研究を担う人たちの働き方は、きちんとつながっているのだろうか。

ドイツ紙WELTは2026年10月18日、ハンナ・ベトケ記者による大学の雇用制度を批判する論説を掲載した。主張の中心は、不安定な雇用が研究者の将来設計を難しくし、結果として大学から才能を遠ざけている、というものだ。

これは人材流出の規模や原因を新たな統計で証明した調査報道ではない。大学が創造性を求めながら、その土台となる働く条件を軽視していないかを問う論説として読む必要がある。


「博士号取得前後に各6年」は、6年間の雇用保障ではない

論争の中心にあるのが、ドイツの「学術有期契約法」、通称WissZeitVGだ。大学などの研究・教育を担う人員について、有期雇用の特別なルールを定めている。

現行法では、研究者自身の学術的な能力形成を目的とする有期雇用は、博士号取得前に原則6年まで、取得後も原則6年まで認められる。

ただし、ここでいう6年は、最初から6年間の仕事を保障する数字ではない。その枠の中で短い契約が繰り返されれば、研究者は次の更新を気にしながら研究を続けることになる。

また、「12年たったら、すべての研究者が大学で働けなくなる」と理解するのも正確ではない。現行法には医学分野や育児などに関する例外・延長規定があり、外部資金による雇用についても別の規定がある。無期雇用そのものを禁じる法律でもない。

それでも、期限のある職から安定した職へ進む道が狭ければ、研究者にとって将来の見通しは立ちにくい。問題は年数だけでなく、その期間を経た先に、どんな仕事が用意されているかにある。


改革案は契約を長くする。その先の仕事はどうなるのか

ドイツ連邦議会の広報紙「Das Parlament」によると、2026年10月に議会で審議された改革案には、博士号取得を目指す段階の初回契約を原則3年以上、取得後の初回契約を原則2年以上とする内容が盛り込まれている。

短い契約の繰り返しを減らすことには意味がある。次の更新が数カ月後に迫っている状態と、数年間の見通しがある状態では、研究計画も生活設計も変わる。

ただし、これは審議中の改革案の説明であり、成立・施行済みの制度として扱うことはできない。

そして、契約期間を延ばすことと、長期的なキャリアをつくることは、同じではない。

数年間の契約が終わった後にも、同じ不安が待っているなら、研究者は将来への判断を先送りしただけになりかねない。WELTの論説が問題視するのも、こうした安定した職への接続の弱さだ。


研究の時計と、契約の時計がずれている

ここからは、この問題を日本にも引き寄せて考えてみたい。

研究には、始める時点では成果の形が見えないものがある。実験が予定どおり進まないことも、長年の仮説が外れることもある。資料の収集や追跡調査に、長い時間が必要な分野もある。

その一方で、次の採用や契約更新では、一定の時点までに示せる成果が問われる。

この二つの時間軸が大きくずれれば、研究者が「重要だが時間のかかる問い」より、「契約期間内に形にできる問い」を選びやすくなる可能性がある。これは、任期付きの研究者に独創性がないという意味ではない。個人の能力とは別に、制度が選択に影響するという問題だ。

さらに、職探しや転居、研究環境の立ち上げ直しにも時間が必要になる。研究者が移動すること自体には交流や経験の広がりという価値がある。しかし、望んで移ることと、生活の見通しが立たずに移らざるを得ないことは分けて考えるべきだろう。


SNSでは「契約を長くするだけでは足りない」という声

ドイツでは、研究者の不安定な働き方を訴える「#IchBinHanna」というハッシュタグが、継続的な議論の場になってきた。

この運動に関わる研究者アムライ・バール氏は、2025年の連立協議を論じたLinkedIn投稿で、改革に向けた方針を歓迎しつつ、博士号取得後の研究者には単なる契約期間の延長ではなく、長期的な展望が必要だと指摘している。教授職につながる道だけでなく、教授以外の安定した職も重要だという立場だ。

その投稿のコメント欄には、改革への感謝に加え、経験を積んだ研究者の将来を心配する声も見られた。若手の入口を改善するだけでは、すでに長く不安定な雇用の中にいる人を救えない、という論点である。

また、2026年8月19日のBluesky投稿では、「#IchBinHanna」とともに、研究分野で有期雇用が続く状況の改善を求める署名ページが共有されていた。

これらは、今回のWELT記事に直接寄せられた反応ではない。同じ雇用問題をめぐるSNS上の発信例であり、ドイツ社会全体の意見分布を示すものでもない。それでも、研究者側が求めているものが、目先の更新だけでなく、その先の人生の見通しであることは読み取れる。


読者コメントには「民間へ行けばよい」という反論も

一方、提供されたWELT記事の読者コメントには、異なる考え方も見られる。こちらはSNS投稿ではなく、記事のコメント欄に寄せられた反応だ。

大きく分けると、長期的な研究環境を求めて人材が国外へ向かうことを心配する意見、大学の外で能力を生かせばよいとする意見、そして大学側の有期雇用への依存を制限すべきだとする意見がある。

「大学以外にも仕事はある」という指摘には、考えるべき点がある。博士号取得者が企業や行政などで活躍することは、社会にとって重要だ。大学に残ることだけを成功とみなす必要はない。

ただし、それで大学の雇用問題が解決するわけではない。

本人が希望して企業を選ぶことと、研究を続けたいのに安定した職がなく退出することは、別の出来事だからだ。大学の外への道を広げる政策と、大学の中で必要な人材を確保する政策は、両立させる必要がある。

なお、読者コメントには、出典が示されていない数値や、特定分野の価値を一括して否定する書き込みも含まれていた。それらは確認された事実として採用していない。


日本の「10年特例」とは、何が違うのか

日本にも、大学や研究機関で働く人の雇用期間をめぐる問題がある。ただし、ドイツの制度と日本の「10年特例」を同じ仕組みとして説明するのは適切ではない。

日本の無期転換ルールは、原則として、同じ使用者との有期労働契約が更新され、通算5年を超えた場合に、働く人の申し込みによって無期労働契約に転換できる制度だ。

一定の研究者・大学教員などについては、この申し込みの権利が発生するまでの期間を、5年から10年にする特例が設けられている。

つまり、日本の10年という数字は、一定の対象者について無期転換申込権が生じるまでの期間に関わる。10年で必ず退職しなければならないという意味ではなく、10年働けば自動的に教授や正規職員になるという意味でもない。

文部科学省は令和7年度の調査結果を踏まえ、各機関に対して、無期転換の申し込みへの適切な対応や制度の説明、キャリア支援などを求めている。

制度の構造は違っても、働く本人が将来を予測できるか、制度が現場でどう運用されるかが重要になる点は、日本にも共通する。


「優秀な人を集める」と「働き続けられる」はセットで考える

では、日本の大学に引き寄せると、何を議論すべきだろうか。

まず、大学で恒常的に必要とされる仕事と、期間が限定されたプロジェクトの仕事を整理することだ。教育、研究設備の運用、データの管理など、継続して必要な仕事をどう支えるかは、個別の研究費とは別に考える必要がある。

次に、採用時点で、その職の先にある選択肢をできるだけ明らかにすることだ。継続雇用の可能性、審査基準、判断の時期が見えれば、研究者は次の行動を準備しやすくなる。

教授になる道だけでなく、専門性を生かして研究や教育を継続できる職をどう位置づけるかも論点になる。すべての人が同じ昇進経路を進む必要はない。

もちろん、安定した職を増やすには財源が必要であり、次の世代の採用機会にも配慮しなければならない。契約期間のルールだけを変えれば解決する話ではないからこそ、大学の人員構成と継続的な予算を一緒に検討することが求められる。


大学の未来は、研究者の未来と切り離せない

研究者が企業へ移ることも、海外で挑戦することも、それ自体を損失と決めつけるべきではない。知識や経験が社会に広がることには価値がある。

問うべきなのは、大学が必要とする人材に、そこで働き続けたいと思える条件を示せているかだ。

研究の成果を社会が待つなら、研究を担う人が、その成果にたどり着くまで働ける条件も必要になる。立派な施設や大きな研究費があっても、人が将来を描けなければ、その力を十分には生かせない。

ドイツの論争が日本に投げかけるのは、優秀な研究者をどう呼び込むかという問いに加え、迎えた研究者がどんな人生を歩める大学にするのか、という問いである。


出典・参考URL

  1. WELT:2026年10月18日付の論説。 著者の評価と、制度上の事実を区別して構成した。
    https://www.welt.de/politik/deutschland/article6ad1f31451e5094f7a56e7a0/qualitaet-der-universitaeten-so-vertreibt-man-die-besten.html

  2. ドイツ連邦法令サイト:学術有期契約法第2条。 博士号取得前後の期間、延長・例外、外部資金による雇用の規定を確認した。Einzelnorm
    https://www.gesetze-im-internet.de/wisszeitvg/__2.html

  3. Das Parlament:2026年10月9日付の改革案解説。 初回契約の最低期間と、議会での審議状況を確認した。das-parlament.de
    https://www.das-parlament.de/wirtschaft/forschung/koalition-plant-reform-des-wissenschaftszeitvertragsgesetzes

  4. アムライ・バール氏のLinkedIn投稿とコメント欄。 2025年の連立協議に対する評価、博士号取得後の長期的な職の必要性など、SNS上の意見を参照した。今回のWELT記事への直接の反応ではない。11 Kommentare
    https://de.linkedin.com/posts/amrei-bahr-8a9269275_ichbinhanna-koav-wisszeitvg-activity-7311117417034797056-ITIy

  5. Benjamin Rosenbaum氏のBluesky投稿:2026年8月19日。 「#IchBinHanna」とともに、有期雇用の継続に反対する署名ページが共有された例。bsky.app
    https://bsky.app/profile/benrosenbaum.bsky.social/post/3mtg6h4hvvs25

  6. 厚生労働省:無期転換ルールの説明。 日本の一般的な制度と研究者・教員などに対する特例の確認に使用した。mhlw.go.jp
    https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21917.html

  7. 文部科学省:令和7年度「研究者・教員等の雇用状況に関する調査」。 10年特例の対象者に対する制度説明や無期転換への対応、キャリア支援に関する依頼を確認した。mext.go.jp
    https://www.mext.go.jp/a_menu/jinzai/1357901_00018.htm