「凡庸さの極致」発言で論争に ─ テイラー・スウィフトは「音楽を壊した」のか?ロックの巨匠の酷評にSNSが反論

「凡庸さの極致」発言で論争に ─ テイラー・スウィフトは「音楽を壊した」のか?ロックの巨匠の酷評にSNSが反論

photo : "Todd Rundgren" by Eva Rinaldi is licensed under CC BY-SA 2.0.

世界的に支持される音楽と、音楽家が高く評価する音楽。その二つは、いつも一致するとは限らない。しかし、その違いを「音楽を壊した」という言葉で語ったとき、議論は作品の評価だけでは収まらなくなる。

米ミュージシャンでプロデューサーのトッド・ラングレンが、テイラー・スウィフトに厳しい評価を下した。Daily Mailが紹介したVultureのインタビューで、彼はスウィフトを「凡庸さの極致」とも訳せる表現で評し、歌唱、作曲、ダンスのいずれにも特別に優れたものを認めないという趣旨の発言をした。

SNSには同意も反論もある。ただし、見えてくるのは単純なファンとアンチの対立ではない。スウィフトを高く評価していない人の中からも、ラングレンの言い方や論理に異議が出ている。


発端は、皮肉を込めた仮定の質問だった

ラングレンは「I Saw the Light」などで知られ、ミートローフの『Bat Out of Hell』やニューヨーク・ドールズのデビュー作を手がけたプロデューサーでもある。長い制作経験を持つ人物の発言だからこそ、今回の批判は注目された。

関連報道によると、インタビューでは『Bat Out of Hell』制作時のブルース・スプリングスティーンに対する皮肉に話が及び、今、誰かをからかう目的でアルバムを作るなら誰を対象にするか、と尋ねられた。その答えとして挙がったのがスウィフトだった。

つまり、出発点は作品を一曲ずつ分析するレビューではなく、挑発を含んだ仮定の問いである。その文脈を外すと、発言の性格を見誤りやすい。

一方で、文脈が皮肉交じりだったとしても、内容が穏当になるわけではない。彼はスウィフトの能力を広く否定し、外見をからかう表現まで使っている。具体的な楽曲や歌詞の分析が示されないままの断定は、音楽批評というより、本人やファンへの攻撃として受け止められやすい。


女性スターの成功は「ゲーム」の結果なのか

もう一つの争点は、ラングレンが示した音楽市場の説明だ。

彼は、1990年代に少年たちがお金を音楽ではなくビデオゲームへ使うようになり、音楽業界が少女たちを重要な顧客として意識するようになった、という見方を示した。その流れの中に、レディー・ガガ、スウィフト、P!nkらを位置づけている。

ただし、これは彼の市場観であり、今回確認した発言には、この因果関係を裏づける消費統計や市場分析は示されていない。ゲームへの支出が増えたことと、特定の女性アーティストが成功したことを直接結びつけるには、別の検証が必要だ。

さらに、彼はレディー・ガガの音楽的な訓練やピアノ演奏を評価する一方で、スウィフトを低く評価している。この違いには、何を「音楽家としての実力」と数えるかという価値観が表れている。

演奏技術や声の表現力を重く見る評価軸もあれば、歌詞の伝わり方、メロディーの記憶しやすさ、聴き手との関係を重く見る評価軸もある。どの軸で語っているのかを示さなければ、議論は互いに違う物差しで点数をつけ合うだけになってしまう。


SNSの反応は、賛成と反対の二色ではない

Redditの関連スレッドでは、大きく三つの受け止め方が確認できる。以下は実際の投稿内容の要約であり、SNS全体の多数意見を示すものではない。

 

第一に、ラングレンの評価に同意する声だ。スウィフトの音楽を過大評価だと考える投稿や、ラングレンの才能と経歴を踏まえ、厳しい批評をする権利を擁護する投稿がある。大きな人気を集めているからといって、批判を免れるわけではないという立場だ。

第二に、スウィフトへの評価と「音楽を壊した」という主張を切り離す声がある。彼女の熱心なファンではないが、一人のアーティストに音楽全体の責任を負わせるのはおかしい、今も優れた音楽は存在する、といった反論だ。これは彼女を全面的に称賛する意見ではなく、批判の範囲が広すぎるという指摘である。

第三に、女性スターや女性ファンの扱いを問題にする声だ。女性の成功をゲーム市場の変化で説明する語り方に女性蔑視を感じる投稿がある一方、その説明は差別ではなく市場についての見解だ、と擁護する返信もある。

添付されたDaily Mailの記事のコメント欄にも、ゲームと人気の因果関係を疑問視する投稿や、スウィフトの経済的成功を持ち出して反論する投稿が掲載されている。ただし、これはSNSではなくニュースサイトの読者コメントであり、両者は区別する必要がある。

これらの反応で目立つ論点は、批判する自由の有無というより、「何を根拠に、どこまで批判しているのか」だ。


売上は才能の証明か。売れすぎることは欠点か

今回の論争を考えるうえで、商業的成功と芸術的評価を同じものとして扱わないことは大切だ。

多くの人に買われた作品が、誰にとっても最高の作品になるわけではない。反対に、多くの人が好むという理由だけで、その作品を浅いと決めつけることもできない。

音楽には、驚くほど複雑な演奏で聴き手を圧倒する力もあれば、短いフレーズで忘れていた感情を呼び起こす力もある。高度な技巧が必ず心を動かすとは限らず、親しみやすい曲が必ず安易とも限らない。

ここからは今回の発言を踏まえた考察だが、ラングレンの不満を建設的な問いへ変えるなら、「なぜ彼女が売れるのか」だけでなく、「自分が価値を認める音楽は、どうすれば聴き手に届くのか」と問うこともできる。

もし問題が音楽業界の宣伝や注目の集中にあるなら、検討すべき対象は販売の仕組みや作品との出会い方だ。それを一人の歌手の能力不足に置き換えるだけでは、業界の何を改善したいのかが見えなくなる。


「好きな人」の価値まで下げない批評へ

音楽の議論は、作品の話から、聴いている人の格付けへ滑りやすい。

「この曲には魅力を感じない」と言うことと、「こんな曲を好きな人は音楽が分かっていない」と言うことは違う。後者になると、作品について意見を交わす余地が狭まり、ファンは自分の経験や思い出まで否定されたと感じやすい。

これはスウィフトに限った問題ではない。アイドル、アニメソング、ロック、ヒップホップなど、どんなジャンルでも、聴き手の年齢や性別を理由に価値を低く見積もれば、音そのものを検討する議論から離れてしまう。

もちろん、ファンの熱意が批評を封じる理由になってもいけない。好きな作品にも弱点はあり、尊敬する音楽家の発言にも無理な飛躍はある。その両方を認められるほうが、音楽の話は豊かになる。

ラングレンの発言は、スウィフトを好きか嫌いかという問い以上に、私たちが何をもって音楽を評価しているのかを浮かび上がらせた。

彼女の曲を好まない自由はある。しかし、一人のアーティストが音楽を壊したとまで言うなら、強い言葉に見合う説明が求められる。次に聴く一曲を増やす批評になるのか、それとも互いの好みを見下すだけで終わるのか。今回の論争の意味は、その先にある。



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