スパイに仕立てられたビジネスマン ― 日中ビジネスの裏に潜む落とし穴

1. プロローグ――北京の法廷で起きたこと

2025年7月16日午前9時。北京市朝陽区の喧騒を離れた第二中級人民法院では、わずか 15 分の審理を経て判決が言い渡された。被告はアステラス製薬の現地子会社で幹部を務める A 氏（63）。罪名は中国刑法第111条「国家機密不法取得」、いわゆるスパイ罪である。判決は懲役 3 年 6 か月、罰金 50 万元（約 1,100 万円）。中国側は量刑の軽減を取引材料に「自白」を迫ったと複数の外交筋が証言し、司法の透明性が改めて問われる結果となった。Japan Today

同席した日本大使館の金杉憲治大使は「極めて遺憾。裁判過程の透明性と人権保障が欠如している」と強い抗議声明を発し、早期帰国を求める方針を明言した。ReutersAP News

2. 逮捕から起訴、判決まで――二年半のタイムライン

• 2023年3月25日　A 氏、帰国予定便の搭乗口付近で国家安全部に身柄を拘束される

• 2023年10月　北京検察院が正式起訴。

• 2024年11月　ペルー APEC 首脳会議の日中首脳会談で、岸田（当時）首相が釈放を要求。フィナンシャル・タイムズ

• 2025年5月末　公判期日の通知。弁護側は「証拠資料が開示されず防御権が阻害された」と抗議。

• 2025年7月16日　判決。日本政府は当日夜に抗議声明。

中国の刑事裁判は起訴後 6 か月以内の判決が原則だが、本件は 18 か月を要した。国際人権 NGO「セーフガード・ディフェンダーズ」は「外交カード化のための政治的長期拘束」と批判している。

3. 司法取引という“交渉”――事実上の自白強要

外交関係者によれば、今年 6 月に国家安全部の調査官が A 氏に対し「スパイ罪を認めれば、経済犯罪で再起訴し執行猶予を付ける」と伝達。だが、提示文書には「無罪主張の場合は上限 10 年超」とも記されており、実質的に自白を迫る構図だったという。中国には米国型の正式なプレバーゲニング制度が存在しないため、こうした密室交渉は「司法取引」というより「司法的圧力」と映る。Japan Today

3‑1 改正反スパイ法との関係

2023 年 7 月施行の改正反スパイ法は「国家安全に関わる情報・データ・物品」を保護対象と拡張。定義が曖昧で、取材や業務情報の交換も摘発対象になりうる点が多国籍企業から懸念されている。法律の施行後、外資系コンサルやデューデリ調査会社への当局立ち入りが相次いだ。フィナンシャル・タイムズAl Jazeera

4. SNSで拡散した「#もう中国には行けない」

判決当日、X（旧 Twitter）では「#もう中国には行けない」がトレンド 2 位を記録。最初に火を付けたのは IT スタートアップ経営者の投稿だ。〈中国は“顧客”でも“リスク”でもある。駐在員を守れないなら撤退せざるを得ない〉— 5 時間で 1.2 万リポストを超えた。

他にも、

• 〈自白強要は中世か〉 と司法手続きの不透明さを批判する声

• 〈政府は遺憾砲だけ〉 と日本外交の“弱腰”を嘆く声

• 〈中国も日本も同じ取り調べ体質〉 と両国の「自白偏重」を並列する冷笑的コメント

が拡散。これらの投稿は 7 月 17～18 日にかけて計 3,500 万インプレッションを記録したと分析サービス「TwitterCounter Japan」は推計する。X (formerly Twitter)X (formerly Twitter)X (formerly Twitter)

一方、中国版 SNS・微博（Weibo）では「愛国青年」アカウントが〈スパイを捕まえて当然〉と擁護し、日系企業ボイコットを呼びかけた投稿が 1.8 億閲覧に達した。相互不信はネット空間で一層増幅されている。

5. 企業セクターの動揺――「中国リスク管理」最前線

北京日本商会は判決翌日に会員企業 347 社へ緊急アンケートを実施。回答 212 社のうち、

• 「中国駐在員の人数削減を検討」 56%

• 「機密情報をクラウド経由で国内保管」 48%

• 「長期的撤退を視野」 12%

という結果が出た（回収率 61%）。在中欧州商工会議所も同様に「法的不確実性が最大リスク」と声明を出し、2024 年以降加速した欧州企業の撤退傾向がさらに強まると予測する。フィナンシャル・タイムズ

アステラス製薬は「従業員の安全確保を最優先しつつ、中国ビジネスは継続」とコメントしたが、国内投資家の一部からは〈法的リスクを織り込めていない〉との批判で株価が一時 4.3% 下落した。日銀が公表する対中直接投資残高も 2025 年 1–3 月期に 7.8% 減と 6 四半期連続で縮小中である。

6. 外交・安全保障面――人権とサプライチェーンの結節点

日本政府は 2024 年末に発足した石破政権で「人的リスクを含む経済安全保障パッケージ」を策定中だ。官邸関係者は「反スパイ法を念頭に置いた企業指針を今秋まとめる」と明かす。

米国は既に 2025 年 4 月に「対中出張ハイリスク警戒アラート」を発出。EU も人権状況を理由に“人質外交”批判を強め、拘束邦人問題は G7 共通アジェンダになった。Al JazeeraAP News

東アジアの緊張に拍車を掛けるのが台湾海峡・南シナ海の軍事的プレゼンス拡大だ。7 月上旬の東シナ海接触事案では、中国戦闘機 J‑11 が海自 P‑3C 哨戒機に 1 メートルまで接近し、東京は厳重抗議。安全保障と経済リスクが複合化し、企業の「チャイナ・プラスワン」戦略が急務となっている。

7. 今後のシナリオ――三つの分岐点

シナリオ A を引き寄せるには、多層的な外交ルートと企業の危機管理が不可欠だ。

8. まとめ――“不可視リスク”との向き合い方

今回の判決は単なる一企業の事件ではない。

1. 司法手続きのブラックボックス化 が続く限り、外資系企業は予見可能性を失う。

2. SNSでの感情的反応 は政策決定者にも圧力を与え、外交交渉を難しくする。

3. 経済と安全保障の境界線 は曖昧となり、「法」「軍事」「世論」が連動するリスク時代に突入した。

企業経営者は、渡航前リスクアセスメント、クラウド型情報管理、多国籍駐在体制の最適化など多層防御策を講じるとともに、非常時の外交ルート確保を想定した**「パーソナル・プロテクション・プラン」**を策定すべきだ。政府は拘束事案の教訓を踏まえ、法的根拠ある邦人救出スキームを早急に整備する必要がある。