「勉強のための一錠」が売買されるキャンパス ― 若者に広がる処方薬のグレーな市場

「勉強のための一錠」が売買されるキャンパス ― 若者に広がる処方薬のグレーな市場

“集中できる薬”が、キャンパスの非公式通貨になっている

試験前、課題の締め切り前、徹夜が続く週末。大学やセジェップの学生生活には、「もう少し集中できれば」「あと数時間だけ頭が働けば」という瞬間がある。そこで、誰かが冗談のように口にする。

「Vyvanse持ってない?」
「Adderall、一錠だけ売ってくれない?」
「Concerta余ってない?」

カナダ・モントリオールの学生紙が報じたのは、まさにそうした空気だ。TDAHの治療薬として処方される心理刺激薬が、若者の間で「医療」から離れ、勉強、仕事、遊び、さらにはダイエット目的の道具として回り始めている。しかも、その行為は当事者の証言によれば、必ずしも地下犯罪のような雰囲気ではない。友人同士の貸し借り、パーティーでの交換、知人への販売。薬が“危険物”としてではなく、“便利な一錠”として扱われていることが、問題の核心にある。

元記事に登場する学生は、処方を受けていないにもかかわらず、試験前に友人の薬を飲むことがあると話す。別の学生は、自分のTDAH治療薬を友人に渡し、時には一錠あたり約20カナダドルで売っていたという。本人の感覚では、それは「ドラッグディーラー」になることではない。薬局で受け取った合法の薬を、周囲に分けているだけ。そこにあるのは、違法薬物の売買というより、仲間内の“融通”に近い感覚だ。

だが、その軽さこそが危うい。

心理刺激薬は、TDAHのある人にとっては日常生活を整える重要な治療手段になり得る。集中力、衝動性、生活リズム、学業や仕事への適応を支える薬であり、適切な診断と処方のもとで使われるべきものだ。一方で、処方を受けていない人が自己判断で服用すれば、睡眠障害、食欲低下、動悸、不安、血圧上昇などの副作用が起こる可能性がある。本人の体質、既往歴、精神状態、他の薬やアルコールとの組み合わせによって、リスクは大きく変わる。

「薬局から来たものだから安全」という感覚は、半分だけ正しい。確かに、出どころ不明の違法薬物と比べれば、成分や用量が明確な処方薬は管理された製品である。しかし、その“安全性”は、医師の診断、用量調整、服薬管理、経過観察とセットになって初めて成立する。処方を受けた本人以外が、別の目的で、別の量を、別のタイミングで使えば、それは医療ではなくなる。


ケベックで処方が多いという現実

この問題がケベックで特に注目される背景には、TDAH治療薬の処方の多さがある。元記事では、ケベック州がカナダ国内でも心理刺激薬の使用量が多い地域であることが指摘されている。別の調査や公的資料でも、若年層におけるTDAH診断や治療薬処方の高さは、長年議論の対象になってきた。

処方が多ければ、それだけ薬が家庭や寮、バッグ、ロッカーの中に存在する機会も増える。医療制度上は正しく処方された薬であっても、学校や友人関係の中では“余っているかもしれない資源”として見られてしまう。SNSの体験談でも、TDAHの薬を飲んでいると知られた途端、友人や同級生から「少し分けて」と頼まれたという声は少なくない。

ここには、二重の問題がある。

一つは、処方薬の転用そのものの危険性。もう一つは、TDAH当事者へのまなざしだ。薬を必要としている人にとって、心理刺激薬は“ズルをするための道具”ではない。日常生活で周囲と同じスタートラインに立つための支えである。ところが、周囲がそれを「勉強がはかどる薬」「試験で有利になる薬」と見なすと、当事者の困難は見えにくくなる。

SNS上のTDAH当事者コミュニティでは、この感覚への怒りや疲れが繰り返し語られている。大学に入ったばかりのユーザーが、薬の話をした直後に友人から余った分を求められてショックを受けた、という投稿がある。別の投稿では、友人たちが同じ薬を勉強目的で使っていることに腹が立つ、という訴えがあった。コメント欄では、「自分は処方薬乱用に関わりたくないから断る」「薬を求められること自体が、TDAHの苦労を軽く見られているようでつらい」といった反応が見られる。

また、最近の投稿では、「薬を求められた経験が何百回もある」と語るユーザーもいた。誇張を含む個人の体験談として読むべきだが、少なくともSNS上では、TDAH治療薬を持つ人が周囲から“入手ルート”のように見られる不快感が共有されている。


なぜ若者は処方薬に手を伸ばすのか

若者が心理刺激薬に手を伸ばす理由は、単純な好奇心だけではない。むしろ、多くの場合は“困っている”ことから始まる。

集中できない。課題が終わらない。頭ではやるべきだと分かっているのに、身体が動かない。授業についていけない。締め切りを守れない。自分は怠けているのか、それとも何か問題を抱えているのか分からない。

元記事に登場する学生の一人は、自分にTDAHのような症状があると感じながら、医療機関に行くことを避けていた。別の学生は、自分でTDAHだと考えた後、知人から薬を入手し、効果を感じたことをきっかけに正式な診断へ向かった。つまり、非合法な入手が、本人にとっては“自己診断の確認”のように機能してしまうことがある。

これは危険であると同時に、医療アクセスの問題でもある。SNS上では、モントリオール周辺で成人のADHD検査を受けるには高額な費用がかかる、待機リストが長い、どこに相談すればよいか分からない、といった声も見られる。診断までの道のりが長く、費用も心理的ハードルも高ければ、若者は身近な“すでに薬を持っている人”に頼りたくなる。

その意味で、処方薬の転売や譲渡は、単なる個人のモラルの問題だけでは片づけられない。背景には、学生を追い込む競争環境、メンタルヘルス支援の不足、診断へのアクセス格差、そして「成果を出せないのは自己責任」という社会的圧力がある。


“パフォーマンス社会”が薬を求めさせる

心理刺激薬の転用は、薬そのものの問題であると同時に、私たちがどのような社会で生きているかを映す鏡でもある。

学生は成績を求められる。奨学金、進学、就職、インターン、資格、語学、アルバイト。若者の時間は細かく分断され、常に何かを証明することを迫られている。休むことは遅れに見え、集中できないことは欠陥に見える。そんな環境では、「飲めば集中できるかもしれない薬」は、誘惑ではなく救命具のように見えることがある。

しかし、薬で一時的に集中力を引き上げても、根本にある疲労、睡眠不足、不安、孤立、学業負担、経済的ストレスが消えるわけではない。むしろ、薬で無理を重ねることで、限界に気づく機会を失う可能性もある。

元記事で専門家が指摘しているように、心理刺激薬の広がりには「安全そうに見える」という感覚と、「成果を出さなければならない」という社会的プレッシャーが重なっている。危険なのは、薬そのものだけではない。危険なのは、薬を飲まなければ普通に戦えないと思わせる環境である。


売る側も、買う側も、軽く考えている

処方薬の非公式な流通には、売る側と買う側の双方に“軽さ”がある。

売る側は、「自分の薬だから少しくらい」「友達が困っているから」「余った分を渡すだけ」と考える。買う側は、「病院でもらえる薬だから」「友達が飲んでいるから」「一回だけだから」と考える。どちらも、自分が重大なリスクに関わっているとは感じにくい。

だが、処方刺激薬はカナダでは管理対象となる薬物であり、処方された本人が本人の治療のために使うことが前提とされている。譲渡や販売は、単なる校則違反やマナー違反では済まない可能性がある。さらに、もし相手に健康被害が起きた場合、渡した側が道義的にも法的にも重い責任を負うことになり得る。

SNSのコメント欄では、「薬を盗まれたら警察に届けるべき」「早めの再処方が難しくなる」「他人に渡すことで自分自身が薬を受け取りにくくなる」といった現実的な警告も見られる。つまり、処方薬の転用は、買う側だけでなく、本当に治療が必要な人の生活をも脅かす。


“本当に必要な人”を孤立させないために

この問題を語るとき、注意しなければならないことがある。心理刺激薬の乱用を批判するあまり、TDAH治療そのものを悪者にしてはいけないということだ。

TDAHのある人にとって、薬物療法は生活の質を大きく改善する可能性がある。適切な診断を受け、医師と相談しながら服用する薬は、学業、仕事、人間関係、自己肯定感を支える大切な選択肢である。問題は、薬の存在ではなく、薬が診断と管理の外へ流れ、友人関係やSNSの感覚で扱われてしまうことにある。

必要なのは、恐怖をあおるだけの啓発ではない。学生が「集中できない」「もしかするとTDAHかもしれない」と感じたとき、身近に相談できる場所があること。診断や支援につながるまでの道筋が分かりやすいこと。薬を処方されている学生が、周囲から求められたときに断りやすい空気があること。そして、処方薬を持つことが“特権”や“裏ルート”ではなく、医療上の必要に基づくものだと理解されることだ。

教育機関にもできることはある。薬物乱用防止の講義を単発で行うだけでは不十分だ。試験期のメンタルヘルス支援、学習相談、障害学生支援、医療機関への接続、薬の保管に関する情報提供、そしてTDAHへの偏見を減らす教育を組み合わせる必要がある。


SNSの反応が示す“当事者の疲れ”

 

今回の記事そのものへの直接的なSNS反応は、確認できる範囲ではまだ限られている。ただし、同じテーマをめぐるSNS上の議論はすでに蓄積している。特にRedditのTDAH関連コミュニティでは、処方薬を持つ人が友人や同級生から薬を求められる経験が繰り返し共有されている。

そこにある反応は、大きく三つに分かれる。

第一に、「失礼だ」「傷つく」という感情的反応。TDAHの薬は、当事者にとって生活を整えるためのものだ。それを他人が“勉強ブースター”として求めることは、本人の困難を軽視する行為に見える。

第二に、「絶対に渡してはいけない」という現実的反応。法律上の問題、健康被害のリスク、自分の処方継続への影響、盗難の危険などが指摘されている。

第三に、「薬を求める人の中にも未診断のTDAHがあるかもしれない」という複雑な見方だ。集中できない人が薬に手を伸ばす背景には、未診断の発達特性やメンタルヘルスの問題が潜んでいる場合がある。その場合、本当に必要なのは友人の薬ではなく、診断と支援につながる道である。

この三つの反応は、互いに矛盾しているようで、実は同じことを示している。処方薬の転用は、薬を持つ人、薬を求める人、どちらの苦しさも雑に扱ってしまうということだ。


問うべきは「なぜ売るのか」だけではない

若者が心理刺激薬を売買する現象を前にすると、私たちはつい「なぜそんな危険なことをするのか」と問いたくなる。もちろん、その問いは必要だ。だが、それだけでは足りない。

なぜ、学生はそこまで集中力を欲しがるのか。
なぜ、診断を受ける前に友人の薬へ向かってしまうのか。
なぜ、処方薬を持つ学生が“分けてくれる人”として見られてしまうのか。
なぜ、休むことや助けを求めることよりも、一錠飲んで乗り切ることのほうが現実的に見えてしまうのか。

心理刺激薬の転売は、個人の逸脱行為であると同時に、教育環境と医療制度と若者文化が交差する場所で起きている。薬の流通を止めるには、違法性や危険性を伝えるだけでなく、若者が薬に頼らざるを得ないと感じる状況そのものを変える必要がある。

「一錠だけなら」という感覚の背後には、「一人ではもう無理」という声が隠れているのかもしれない。だからこそ、必要なのは、薬を責めることでも、若者を責めることでもない。処方薬を本当に必要な人へ届け続けながら、必要でない人がそこへ向かわずに済む社会的な支えをつくることだ。

キャンパスで回っているのは、単なる錠剤ではない。成績への不安、診断への遠さ、当事者への偏見、そして「もっとできる自分でなければならない」という圧力そのものなのである。


出典URL

Montréal Campus「La revente de psychostimulants banalisée chez les jeunes?」。若者の間での心理刺激薬の譲渡・転売、学生証言、専門家コメントの参照元。
https://montrealcampus.ca/2026/04/28/la-revente-de-psychostimulants-banalisee-chez-les-jeunes/

Health Canada「Prescription stimulants」。処方刺激薬の不適切使用、短期・長期の副作用、高校生・大学生での乱用リスクに関する公的情報。
https://www.canada.ca/en/health-canada/services/drugs-medication/prescription-stimulants.html

INSPQ「Surveillance du trouble du déficit de l’attention avec ou sans hyperactivité au Québec en contexte de pandémie de la COVID-19」。ケベック州におけるTDAH診断・処方動向の参照資料。
https://www.inspq.qc.ca/sites/default/files/publications/3690-surveillance-trouble-deficit-attention-context-COVID-19.pdf

IQVIA「Medication Treatments for Mental Health Disorders in Canada」。カナダ国内の心理刺激薬処方増加、2020年から2024年にかけた処方件数の伸びに関する資料。
https://www.iqvia.com/-/media/iqvia/pdfs/canada/publications/iqvia_2025-mental-health-report_en.pdf

CIRANO「Surdiagnostic du TDAH au Québec」。ケベック州におけるTDAH診断・処方の高さ、カナダ他地域との比較に関する研究報告。
https://cirano.qc.ca/files/publications/2023RP-08.pdf

CCSA「Prescription Stimulants Canadian Drug Summary」。カナダにおける処方刺激薬の法的位置づけ、処方された本人による使用が前提であることの確認資料。
https://www.ccsa.ca/sites/default/files/2019-07/CCSA-Canadian-Drug-Summary-Prescription%20Stimulants-2019-en.pdf

Reddit r/ADHD「Just got asked for my meds for the first time」。TDAH治療薬を友人から求められた当事者の反応、SNS上の関連体験談として参照。
https://www.reddit.com/r/ADHD/comments/qf9yxm/just_got_asked_for_my_meds_for_the_first_time/

Reddit r/ADHD「am I wrong for being pissed off that my school friends are using the same pills as me to study?」。友人が勉強目的でTDAH薬を使うことへの当事者の違和感、コメント欄の反応の参照元。
https://www.reddit.com/r/ADHD/comments/b3vw1u/am_i_wrong_for_being_pissed_off_that_my_school/

Reddit r/ADHD「Other people asking for your medication」。処方薬を求められる経験が頻繁にあるというSNS上の体験談の参照元。
https://www.reddit.com/r/ADHD/comments/1n4228a/other_people_asking_for_your_medication/

Reddit r/montreal「ADHD testing」。モントリオール周辺でのADHD検査費用やアクセスの難しさに関するSNS上の相談例。
https://www.reddit.com/r/montreal/comments/125rfff/adhd_testing/