医師に嘘をつく患者はなぜ生まれる?「31%」が示した診察室の見えない壁

医師に嘘をつく患者はなぜ生まれる?「31%」が示した診察室の見えない壁

病院の診察室で、医師からこう尋ねられた経験はないだろうか。

「お酒はどれくらい飲みますか」

「タバコは吸いますか」

「薬はきちんと飲めていますか」

「最近、精神的につらいことはありませんか」

患者にとって答えにくい質問は少なくない。

本当は毎晩飲んでいるのに「週に2、3回です」と少なく答える。処方された薬をほとんど飲んでいないのに、「だいたい飲んでいます」と言う。体重が増えていることや、性的な悩み、家庭内の問題、精神的な不調について「特にありません」と答えてしまう。

こうした経験は、一部の特殊な患者だけのものではないらしい。

ドイツで2026年3月に実施されたYouGovと医療サービス企業Doctolibの調査では、成人1,043人のうち31%が、医師に対して重要な健康情報を隠した経験があると回答した。18~24歳では、その割合が45%に達した。

しかも興味深いことに、情報を隠した経験がある人の87%は、「重要な情報を医師に伝えないことが自分の健康に悪影響を与える可能性がある」と理解していた。

つまり、多くの人は「隠してはいけない」と分かっていながら、それでも話せないのである。


「患者が嘘をつく」という表現だけでは見えないもの

この問題を単純に「患者が医師に嘘をついている」と片付けると、本質を見失う。

Doctolibの調査によると、隠されやすかったのは症状そのものだけではない。

症状について正確に伝えなかった人がいる一方、家庭や経済などの個人的・社会的事情、精神的な問題、喫煙、体重、食事療法や生活指導を守れなかったことなども話しにくいテーマとなっていた。

その理由として目立ったのが、「医師から否定的に評価されるのではないか」という恐れだった。

35%が「批判されたり悪く思われたりすることへの不安」を理由として挙げ、31%が羞恥心や気まずさを理由にしている。また、治療や薬を避けたくて情報を出さないケースもあった。

つまり、患者が隠しているのは単なる「事実」ではない。

その裏には、

「こんな生活をしていると言ったら怒られる」

「自己管理のできない人間だと思われそう」

「こんなことで病院に来たと思われるのが恥ずかしい」

「精神的な問題だと決めつけられたくない」

「薬を飲めなかったと言えば責められそう」

といった感情が存在する。

医療者からすれば「正確な情報がなければ診断できない」という話になる。

一方、患者からすれば「正確なことを言えば、自分自身を評価されるかもしれない」という問題になる。

ここに医師と患者の大きな認識の差がある。


別の調査でも浮かび上がった「話しにくさ」

この傾向はDoctolibの一つの調査だけで確認されたものではない。

ドイツの公的医療保険BARMERが2026年1~2月に1,791人を対象として行ったForsa調査でも、18%が羞恥心、気まずさ、不信感などを理由に、医師に健康上の問題を話さなかった経験があると回答した。

男女差もあり、男性では13%だったのに対し、女性では23%だった。

年齢別では18~29歳が28%と最も高く、60歳以上では13%だった。

何について話しづらいかを見ると、人間関係やパートナーとの問題、性的健康、家庭内暴力や虐待など、単純な身体症状だけでは解決できないテーマが並ぶ。

注目したいのは、BARMERの調査では回答者の92%が健康問題について医師を信頼していると答えている点だ。

「医師を信用していないから話さない」とは限らないのである。

相手を信頼していても、恥ずかしいことは恥ずかしい。

医師を信頼していても、性的な問題、暴力、依存、精神的な不調、経済問題について口頭で説明することには大きな心理的負担がかかる。

これは日本人にも理解しやすい感覚ではないだろうか。


日本では「診察時間の短さ」も無視できない

では、日本ではどうだろう。

ドイツの31%という数字をそのまま日本に当てはめることはできない。当然、医療制度も文化も調査方法も異なる。

ただし、「本当のことを言うための時間が十分にあるか」という点で考えると、日本にも重要な課題がある。

厚生労働省の2023年「受療行動調査」では、一般病院の外来患者の診察時間について、「5分未満」が28.8%、「5分以上10分未満」が41.0%だった。

合わせると約7割が10分未満である。

もちろん、診察時間が短いから医療の質が低いという単純な話ではない。

血圧の確認と定期処方だけで終わる患者もいれば、継続的に同じ医師が診ているため短時間でも十分な場合もある。

しかし、「実はもう一つ相談したいことがあります」と患者が切り出すには、時間的な余白が必要になる。

診察室に入る。

医師が電子カルテを見る。

症状を説明する。

診察を受ける。

薬や検査について説明を受ける。

その間に5分、10分が過ぎていく。

そして医師から、

「ほかに何かありますか」

と聞かれた瞬間、待合室にはまだ大勢の患者がいることが頭をよぎる。

そこで、

「大丈夫です」

と答えて帰る。

この「大丈夫です」の中に、本来診療に必要だった情報が含まれている可能性はある。

日本では患者側が医師を「専門家」「先生」として強く意識し、診察を邪魔してはいけない、余計なことを言ってはいけないと考える場面もある。

患者と医療者が対等に意思決定へ参加するには、「患者が受け身になること」や、自分の考えを医師に伝える際の心理的ハードルを減らすことが重要だという国内の研究・提言もある。


医師の守秘義務があっても、心理的な壁は消えない

「医者には守秘義務があるのだから、何でも言えばいい」

そう考える人もいるだろう。

日本でも医師などが業務上知った秘密を正当な理由なく漏らすことは、刑法134条の秘密漏示罪の対象となる。

法制度として患者の秘密は保護されている。

しかし法律で守られていることと、「安心して話せる」と感じることは別問題だ。

たとえば、

「飲酒量を正直に話したら説教されるのではないか」

「性感染症の可能性を相談したら軽蔑されないか」

「精神科の薬を飲んでいると言えば、身体症状まで精神的な問題として扱われないか」

と感じている患者に、「秘密は守られます」と説明するだけでは十分ではない。

求められているのは情報セキュリティだけでなく、心理的な安全性なのである。


SNSでは「悪意で嘘をつくわけではない」という声

SNS上でも、この問題に通じる投稿が見られる。

 

日本の総合診療医がXで患者の「嘘」を取り上げた投稿では、「患者には悪意があるわけではなく、恥ずかしい、医師に怒られるのではないかといった理由がある」という趣旨の指摘がされている。

この視点は重要だ。

「患者は嘘つきだ」と決めつけた瞬間、さらに患者は話しにくくなる。

SNS上では逆に患者側から、

「喫煙について話すと、それ以降の症状まで全部喫煙のせいにされるように感じる」

「精神疾患や薬の情報を伝えると偏見を持たれるのではないか」

「電子カルテにセンシティブな情報が残り続けることが怖い」

といった懸念も繰り返し語られている。

海外の医療関連コミュニティでも、飲酒、薬物、精神疾患、性的な問題などについて正直に話せない理由として「恥」「評価されることへの恐れ」「医療記録に残ることへの不安」が挙げられている。

もちろんSNS上の投稿は世論調査ではない。

声の大きなユーザーの意見が目立つこともあり、投稿だけから社会全体の割合を推定することはできない。

それでも、調査データに現れた「恥ずかしい」「評価されたくない」という感情が、実際の患者の言葉としてSNSにも現れていることは興味深い。


そこで期待される「デジタル問診」

この問題への解決策として期待されているのが、診察前のデジタル問診だ。

対面では言いにくくても、スマートフォンの画面なら答えられる。

人の顔を見ながら、

「週にどれくらいお酒を飲みますか」

「性的な問題はありますか」

「家族から暴力を受けていますか」

「処方薬を指示通り飲めていますか」

と聞かれるのと、一人で画面を見ながら回答するのでは心理的な負担が違う。

Doctolib関連の調査でも、対面では隠してしまう人の中に「秘密が守られるデジタル質問票なら、より正直に答えられる」とする層がいる。

つまり、デジタル化の価値は単なる受付時間の短縮ではない。

「診察室では言えない情報を診察前に拾う」という役割も持ち得る。

ドイツでは健康アプリやウェアラブルの医療利用にも比較的高い関心が示されている。

Deloitteが2026年7月にドイツの2,000人を対象として行った調査では、63%がスマートフォンやウェアラブルなどから得られる健康データを医師と共有する用意があると回答し、83%が本人の同意の下でこうしたデータを治療に活用することを肯定的に評価した。


デジタルは「医師を遠ざけるもの」とは限らない

医療のデジタル化というと、

「何でもスマホになって人間味がなくなる」

「医師と患者が話さなくなる」

という不安も出てくる。

しかし、使い方によっては逆である。

診察前に患者が、

症状、

服薬状況、

生活習慣、

睡眠、

精神状態、

家庭環境、

相談したい内容

などを整理して入力できれば、医師は限られた診察時間を「情報をゼロから聞き出す作業」ではなく、「重要な情報について患者と話す時間」に使える。

ドイツのCharitéが転移性乳がん患者909人を52施設で追跡したPRO B研究では、患者が定期的にデジタルで状態を報告し、異常があれば医療チームが対応する仕組みによって、疲労の軽減、身体機能の改善、入院の減少などが確認された。

デジタルツールは医師を置き換えるのではなく、患者が発する小さな変化を医療側に届ける「追加の回線」として機能したのである。

これは、日本が推進している医療DXとも重なる。

厚生労働省は医療DXについて、診療や治療、処方などで生まれる情報を共通化・標準化し、国民がより質の高い医療やケアを受けられる環境を目指すとしている。

日本で問診のデジタル化を進めるなら、「受付業務を効率化できる」という医療機関側のメリットだけを見るのでは不十分だ。

患者が話しにくい情報を安全に入力できること。

医師が事前に確認できること。

入力内容を見た医師が、患者を責めるのではなく「教えてくれてありがとうございます」と話を始められること。

そこまで含めて初めて、デジタル問診は医師と患者のコミュニケーションを変える可能性を持つ。


ただし「デジタルなら安心」とも限らない

一方で、デジタル化そのものを万能薬として扱うのも危険だ。

患者が、

飲酒、

薬物、

精神疾患、

性行動、

家庭内暴力、

妊娠、

経済問題

といった極めてセンシティブな情報を入力するのであれば、そのデータが誰に保存され、誰が閲覧でき、どの程度の期間保存されるのかが重要になる。

利用者がデータの扱いを信用できなければ、今度は「デジタル問診にも本当のことを書かない」という問題が起きる。

実際、Deloitteの2026年調査でも、デジタルヘルス普及の条件として、使いやすさだけでなく、データ保護、セキュリティ、信頼できる事業者、自分のデータを自分で管理できることが重視されている。

さらに、新たな問題としてAIによる診療記録作成も登場している。

オーストラリアでは、医師と患者の会話を聞いて自動的に診療記録を作成する「AIスクライブ」の利用が急増し、一般医の約4割が利用しているとの調査もある。

一方、患者への十分な説明や同意、データ保護、生成された記録の正確性をめぐり議論が起きている。

2026年8月には、AIが患者の記録に実際には話していない薬物使用に関する情報を入れてしまった事例もオーストラリアで報道された。

患者が勇気を出して本当のことを話しても、記録するシステムが間違えば意味がない。

逆に患者が「この会話はAIに全部記録される」と不安になれば、本音をさらに言わなくなる可能性もある。

デジタル化と心理的安全性は、セットで考える必要がある。


「情報が存在する」と「医療に届く」は別の問題

元記事が紹介しているドイツの腎疾患研究も、この問題を別の角度から示している。

ドイツ最大規模の住民研究NAKOの解析では、35,461人の尿検査のうち6,213人、17.5%に腎機能低下や腎障害を示す可能性のある異常値があった。

しかし、そのうち腎疾患の診断を認識していた人は約4%にとどまった。

また約19万5,000人の血液データでは約5,000人に腎機能の異常がみられたが、対応する診断を認識していたのは875人だった。

もちろん、一度の検査異常だけで慢性腎臓病と診断することはできない。

研究者自身も、異常値は再検査などで確認する必要があると強調している。

それでも、この結果は重要な事実を示している。

「体の中に情報が存在すること」と、「患者と医師がその情報を共有し、診断や治療につなげること」は別なのである。

患者が伝えない。

医師が聞けない。

検査結果が十分に追跡されない。

患者が意味を理解していない。

情報が別の医療機関に分散している。

こうした小さな断絶が積み重なれば、医療に必要な情報は存在しているのに、治療には使われないという状態が生まれる。


日本で必要なのは「患者を正直にさせる仕組み」ではない

このニュースから日本が学ぶべきことは、「患者はもっと医師に正直になりましょう」という道徳的な教訓ではないだろう。

患者が本当のことを話せない理由を減らすことのほうが重要だ。

診察前に相談内容を書ける。

人に聞かれずに回答できる。

性的な問題や精神的な問題についても選択式で入力できる。

「薬を飲めなかった」と答えても責められない。

医師から「正直に教えてもらったほうが治療方法を調整できます」と説明される。

必要であれば家族と別に話せる時間がある。

入力した健康データがどこに保存されるか分かる。

AIを使う場合には患者が拒否できる。

こうした一つ一つの設計が、患者の発言を変えていく。

必要なのは「正直な患者」を作ることではない。

患者が正直でいられる医療環境を作ることだ。


診察室で最も重要な情報は、患者がまだ言っていないことかもしれない

医療の世界では、検査機器も高度化し、AIも導入され、膨大な健康データを扱える時代になっている。

しかし、最新のMRIやAIを導入しても、患者が重要な症状を言えなければ診断の出発点がずれることがある。

逆に、患者が安心して、

「実は薬を飲んでいません」

「本当は毎日お酒を飲んでいます」

「家で暴力を受けています」

「最近、生きるのがつらいと感じています」

と話せれば、一つの告白が治療を大きく変えることもある。

デジタル問診や健康アプリは、その「最初の一言」を助ける道具になれるかもしれない。

ただし、そのためには技術以上に大切な条件がある。

入力したことを後悔しない医療であること。

正直に話したことで責められないこと。

患者自身が、自分の情報がどう使われるのか理解できること。

そして最後には、画面ではなく人間がその情報を受け止めることだ。

ドイツで示された「31%」という数字は、単なる患者の不誠実さを表す数字ではない。

それはむしろ、現代医療がまだ十分には拾えていない「患者の沈黙」の大きさを示す数字と考えるべきなのかもしれない。



出典URL

1.Ad Hoc News
ドイツの医師・患者コミュニケーション、Doctolib/YouGov調査、BARMER調査、デジタル医療、NAKO研究などをまとめた記事。
https://www.ad-hoc-news.de/wissenschaft/aerzte-patient-kommunikation-31-percent-luegen-bewusst-in-der/69953057

2.Doctolibによる2026年の患者・医師調査
ドイツ成人の31%が重要な健康情報を医師に伝えなかった経験があること、18~24歳では45%だったこと、背景に評価への不安や羞恥心があることなどの一次情報。
https://about.doctolib.de/news/jeder-dritte-deutsche-verschweigt-medizinern-wichtige-informationen-angst-und-scham-sind-hauptgrunde/

3.Healthcare in EuropeによるDoctolib/YouGov調査の解説
患者1,043人、開業医312人という調査規模や、診断の遅れ、治療への影響などを確認するために参照。
https://healthcare-in-europe.com/de/news/flunkern-beim-arzt-keine-gute-idee.html

4.BARMER調査についてのÄrzte Zeitungの記事
18%が医師との会話で話題を伏せた経験、男女・年代別の違い、話しにくいテーマなどを確認。
https://www.aerztezeitung.de/Wirtschaft/Scham-Peinlichkeit-oder-Misstrauen-Fast-jeder-Fuenfte-verschweigt-etwas-beim-Arzt--464071.html

5.Deloitte「Mobile Health Consumer Trends 2026」
ドイツの2,000人を対象とした調査。健康データを医師と共有する意向、医療へのデータ活用への評価、プライバシーや操作性への意識を確認。
https://www.deloitte.com/de/de/Industries/tmt/research/mobile-health-consumer-trends.html

6.Charité「PRO B」研究
転移性乳がん患者909人、52施設を対象としたデジタル患者モニタリング研究。疲労や身体機能、入院への影響を確認。
https://www.charite.de/en/service/press_reports/artikel/detail/close_digital_support_helps_women_with_breast_cancer/

7.ドイツ・フライブルク大学病院のNAKO腎疾患研究
35,461人の尿検査で17.5%に異常値が確認されたことや、診断認識との大きな差などを確認。
https://www.uniklinik-freiburg.de/presse/pressemitteilungen/detailansicht/6841-viele-nierenerkrankungen-bleiben-unentdeckt.html

8.厚生労働省「令和5(2023)年受療行動調査」
日本の一般病院における外来診療時間など、日本との比較部分で使用。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jyuryo/23/kakutei.html

9.厚生労働省「医療DXについて」
日本政府が進める医療情報の標準化・共有、医療の質向上などの政策的位置付けを確認。
https://www.mhlw.go.jp/stf/iryoudx.html

10.e-Gov法令検索「刑法」
日本の医師などの守秘義務に関連する刑法134条「秘密漏示」の確認に使用。
https://laws.e-gov.go.jp/law/140AC0000000045

11.日本の患者・医療者コミュニケーションに関する提言
患者が受け身になることや、医師へ自分の考えを伝える心理的ハードルなど、日本側の課題を考える材料として参照。
https://ncdjapan.org/wp/wp-content/uploads/2020/09/Recommendations_Proposal_on_Achieving_Better_Communication_Between_Healthcare_Providers_and_Beneficiaries_JPN.pdf

12.オーストラリアのAI診療記録をめぐる報道(ABC News)
AIスクライブが患者の記録に誤った情報を追加した事例や、プライバシー・同意・正確性をめぐる問題を確認。
https://www.abc.net.au/news/2026-08-14/ai-medical-scribe-error-leaves-patient-devastated/107031672

13.Digital Rights Watch「AI Scribes in Australian Healthcare」
AIによる診療記録作成の普及と、同意、個人情報、規制上の課題を確認。
https://digitalrightswatch.org.au/images/off-the-record-ai-scribes-in-healthcare-drw-report.pdf

14.SNS上の医師側の反応例(X)
患者が情報を隠す背景に、悪意ではなく羞恥心や「医師に怒られるのではないか」という心理があるとの医師の投稿。
https://x.com/daimatsushima/status/1963239147751305479

※SNS投稿は統計的な世論を示す資料ではなく、今回のテーマについてどのような意見や不安が実際に語られているかを示す参考例として使用しています。