クリック一つで“男らしさ”を買う時代?オンライン診療が煽る“若返りビジネス”の光と影

クリック一つで“男らしさ”を買う時代?オンライン診療が煽る“若返りビジネス”の光と影

序章:なぜ今、テストステロンがニュースになるのか

2025年11月、米NPR系ラジオ番組「Here & Now」で「Testosterone therapy is on the rise(テストステロン療法が急増している)」という特集が放送された。番組には医療メディアSTATの記者アナリーザ・メレッリが登場し、「オンライン市場の拡大によって、数え切れないほどの男性がテストステロン治療に引き寄せられている」と語る。WBUR


疲労感、集中力低下、性欲の減退…。中年以降の男性にはおなじみの悩みだが、いま米国では、こうした症状を「Low-T(テストステロン不足)」とラベリングし、ホルモン補充で一気に解決しようとする風潮が広がっている。


その背景には、オンライン診療や宅配医薬品サービスの急拡大、そしてSNSを通じた「テストステロン上げれば人生変わる」系の情報拡散がある。一方で、専門家は「本当にホルモンが原因なのか」「長期的な安全性は十分に検証されたのか」と警鐘を鳴らしている。STAT


この記事では、番組やSTATの報道内容を手がかりに、テストステロン療法ブームの実態と、その周辺でうねるSNS世論を整理してみたい。



1. クリック一つで始まる「若返りサブスク」

メレッリが取材した米国の現場では、「DudeMeds」「Maximus」「Titan」など、いかにも男性向けを意識した名前のオンラインクリニックが次々と誕生しているという。利用者はウェブやアプリで簡単な問診に答え、場合によっては在宅で採血キットを使い、その結果に応じてテストステロンが定期配送される仕組みだ。STAT


月額料金は100ドル未満から数百ドルまでと幅広いが、ジムやサプリのサブスク感覚で「自己投資」として支払う男性も多い。テストステロンの注射やジェルは自宅で行え、オンラインでフォローアップを受けるだけ。忙しいビジネスマンにとっては魅力的に映るだろう。


実際、米国ではテストステロン注射薬の処方件数が2019年から2025年にかけて約2倍に増え、市場規模は25億ドル規模に達すると見込まれているという。STAT


しかし、この“手軽さ”こそが、医療の観点からは最も危ういポイントだ。



2. 本来のテストステロン補充療法とは何か

そもそもテストステロン補充療法(TRT)は、長年にわたり「男性ホルモンが明らかに低く、そのことが健康障害を引き起こしている」ケースに対して行われてきた、れっきとした治療法だ。


内分泌学会(Endocrine Society)のガイドラインでは、

  • テストステロン値が繰り返し低いこと

  • それに見合う症状(性欲低下、勃起不全、筋力低下など)があること
    の両方を満たした男性に限って、補充療法を推奨するとしている。内分泌学会


さらに、米国泌尿器科学会(AUA)も、正確な採血・診断、そして心血管疾患や前立腺がんリスクを踏まえた慎重な適応判断を求めている。AUA


つまり、
「なんとなく最近だるいから」「ジムで筋肉を早くつけたいから」
といった理由で、血液検査もろくにせずホルモンを投与するのは、本来の医療の筋からは外れている。



3. それでもオンラインクリニックが支持される理由

ではなぜ、多くの男性がオンラインクリニックに流れていくのか。STATの記事と番組の内容を総合すると、理由は大きく三つに整理できる。STAT


(1) プライマリケアの“冷ややかさ”

疲労感や気分の落ち込みを訴えても、かかりつけ医から「年相応ですよ」「運動とダイエットをがんばりましょう」と片付けられてしまう――。こうした経験を語る男性は少なくない。中には「勃起障害がないから検査する必要はない」と言われ、血液検査すら受けられなかった人もいる。


患者側は「自分のつらさを真剣に受け止めてくれない」という不満を抱き、ネット検索を重ねるうちに、テストステロン専門をうたうオンラインクリニックに行き着くのだ。


(2) 医師間でも割れる“治療の哲学”

ガイドラインを尊重し、厳密な数値基準を守ろうとする内分泌専門医もいれば、「症状が強ければ、基準ギリギリでも試してみるべきだ」と考える泌尿器科医もいる。STAT


肥満や睡眠時無呼吸など、他の要因がテストステロン低下の背景にある場合、まずライフスタイル改善を優先すべき、という立場もある。一方で「その改善ができないから困っているのに、まず痩せろと言われるのは酷だ」という意見も根強い。


(3) 「男らしさ」へのプレッシャーとインフルエンサー文化

SNSでは、マッチョなインフルエンサーが「テストステロンを最適化すれば仕事も恋愛もすべてうまくいく」と語る動画が日々流れてくる。髭の濃さや筋肉量、性欲の強さが“男としての価値”と結びつけられ、Low-Tは「負け組」の烙印のように語られることもある。


こうした文化の中で、テストステロン療法は単なる医療行為を超え、「男らしさを取り戻すための自己投資」として商品化されているのだ。



4. 忘れられがちなリスクと不確実性

ここで、テストステロン療法に伴う代表的なリスクも整理しておきたい。

  • 造精機能の低下・不妊:外からテストステロンを入れると、体内でのホルモン分泌が抑えられ、精子数が減少する。将来子どもを望む若い男性にとっては重大な問題だ。STAT

  • 赤血球増加による血栓リスク:ヘマトクリット値が上昇し、血栓症の危険が高まる可能性があるため、定期的な採血チェックが必須とされる。内分泌学会

  • 乳房の張り・肥大(男性型乳房):ホルモンバランスの変化で乳腺が刺激され、見た目の変化に悩む人もいる。STAT

  • 心血管イベントの可能性:最近の大規模試験では、心筋梗塞や脳卒中リスクが大きく増えるという明確な証拠は出なかったものの、完全に安全と言い切れる段階ではない。ニューイングランド医学雑誌


こうしたリスクさえ十分に説明されないまま、「疲れが取れる」「集中力が増す」といったメリットだけが強調されるオンライン診療の広告は少なくない。


ガイドラインが繰り返し強調するのは、「治療開始前にリスクとベネフィットを丁寧に話し合い、定期的なフォローアップを欠かさないこと」だ。内分泌学会



5. SNSに渦巻く賛否両論

テストステロン療法をめぐる議論は、医療界だけでなくSNSでも大きな炎上ポイントになりつつある。ここでは典型的な三つの論調を、架空の投稿例を交えながら紹介しよう。


(1) 救われた派:「これがなければ人生が詰んでいた」

「TRTを始めてから、朝起きるのが楽になったし、仕事のモチベも戻った。
40代でここまで変われるなら、もっと早くやればよかった。」


こうしたポストはX(旧Twitter)やRedditのフォーラムで多数見られる。多くは、長年の倦怠感や抑うつ状態に悩み、何件もの医療機関を転々とした末にようやくテストステロン療法にたどり着いたというストーリーだ。STAT


彼らにとってTRTは、医療システムから放置されてきた自分を救ってくれた“最後の砦”であり、その感謝と興奮が熱量の高い投稿として可視化される。


(2) 懸念派:「医療がサブスクビジネスに飲み込まれている」

「診察20秒で『数値OK、さあ注文を』って…これ、医療じゃなくて通販でしょ。」

オンラインクリニックの利用経験者からは、診察や説明が極端に簡略化されていることへの不満や、解約しづらい料金体系への批判も少なくない。STAT


また医療者側からは、「テストステロン値が正常範囲なのに“相対的に低い”という理由で投与するのはエビデンスに乏しい」「長期的な有害事象のデータが不足している」といった指摘が相次ぐ。E-ENM


(3) ジェンダー視点からの批判:「男らしさの呪いをホルモンで上書きしているだけ」

さらに近年は、ジェンダー研究やメンタルヘルスの専門家から、「テストステロン療法ブームは、男らしさへのプレッシャーを強化しているのではないか」という批判も上がっている。


「『疲れた』『自信がない』と感じるたびに“ホルモンが足りないせいだ”と思い込むと、
仕事や家事・育児の負担、不安定な雇用など本当の問題が見えなくなる」


というポストには、多くの共感や反論がぶつかり合う。
テストステロン値は確かに健康の一要素だが、それだけで人の価値や幸福度が決まるわけではない。それでも、数字を上げれば人生が劇的に変わるかのように語るインフルエンサー動画は後を絶たない。



6. 「男性の健康」をどうアップデートするか

ここまで見てきたように、テストステロン療法ブームは単なる医薬品のトレンドではない。

  • 医療システムが、男性の「なんとなく調子が悪い」という訴えを軽視してきたこと

  • 男らしさを巡る社会的プレッシャー

  • オンライン診療とサブスク文化の急成長

  • インフルエンサー経済とアルゴリズムによる情報拡散

といった、複数の要因が絡み合った結果として起きている現象だ。

今後必要なのは、「全部ダメ」とも「自己責任で自由にやれ」とも言わない、中庸のアプローチだろう。

  1. きちんと調べる医療アクセスの拡充
    プライマリケア医や健診の現場でも、必要な人にはテストステロン検査や相談ができる体制を整える。ガイドラインに基づきつつ、「患者のつらさ」を真正面から受け止めるコミュニケーションが重要だ。内分泌学会

  2. オンライン診療の質保証
    オンラインであれ対面であれ、

    • 適切な採血

    • リスク説明

    • 定期フォローと副作用モニタリング
      を義務付けるルール作りが欠かせない。検査なしの投与や、極端な高用量を売りにするビジネスモデルには監視の目が必要だ。STAT

  3. “男らしさ”よりQOL(生活の質)を中心に据える
    「もっと男らしくなりたい」ではなく、「疲れにくくなりたい」「パートナーとの関係を大切にしたい」といった、より具体的で現実的な目標にフォーカスすることが、不要な治療を避ける一歩になる。



終章:ホルモンより先に見直したいこと

テストステロン療法それ自体は、正しく診断され、適切にモニタリングされる限り、多くの男性にとって有効な治療選択肢となりうる。実際、重度の低テストステロン症に悩む患者にとって、それはまさに「人生を取り戻す」手段でもある。D56 Boch Lux Qnz


しかし、いまSNSのタイムラインにあふれているのは、「血液検査の結果より先に広告が出てくる」世界だ。疲れを感じたとき、まず思い浮かべるのが「ホルモン補充」ではなく、睡眠、ストレス、人間関係、そして社会構造そのものを振り返ることだったら――テストステロンにまつわる議論も、少しは穏やかなものになっていたかもしれない。


あなたがもしテストステロン療法に興味を持っているなら、SNSの成功談や怖い話だけで決めるのではなく、信頼できる医療者とじっくり話し合ってほしい。


そのうえで、必要であれば治療を選び、そうでなければ「ホルモン以外の選択肢」を探る。

テストステロンは、人生を変える“魔法の薬”ではない。


ただし、正しい場面で、正しい理由で使われるなら――
男性の健康をアップデートする一つの強力なツールになり得るのだ。



※本記事は、WBUR「Here & Now」の特集およびSTATなどの公開情報をもとに構成した一般向け解説であり、個別の医療判断を行うものではありません。治療の是非については必ず医師などの専門家に相談してください。



参考記事

テストステロン療法が増加しています
出典: https://www.wbur.org/hereandnow/2025/11/25/testosterone-therapy