“言語の壁”がイノベーションを遅らせる ― 日本発の技術が米国に届くまでの“半分の遅れ”の正体

“言語の壁”がイノベーションを遅らせる ― 日本発の技術が米国に届くまでの“半分の遅れ”の正体

研究のポイント:何を、どうやって確かめたのか

この研究の舞台は「特許」だ。論文や学会発表と違い、特許は技術内容が(時に回りくどく)法律文書として整理され、さらに引用関係も比較的追跡しやすい。研究チームは、米国の発明家が日本由来の発明を引用したケースを集め、引用が起きるまでの時間に注目した。


鍵になったのは、米国の特許制度の変更である。あるタイミングを境に、出願中の特許情報がより早く公表され、英語でアクセスできる技術情報が増える(あるいは早期化する)状況が生まれた。研究者はこの制度変更を“自然実験”のように使い、変更の前後で日本発技術の「米国での引用のされ方」がどう変わったかを比較した。


データは、米国ベースの発明家が日本の発明を参照した2,770件の引用サンプル。ここから導かれた結論は明快だ。

  • 言語障壁は、日本発の知識が米国で引用されるまでの遅れの約半分を説明しうる

  • 効果が大きいのは、翻訳力を内製しにくい(研究開発規模が小さい、または日本市場への関与が薄い)企業

  • そして興味深いのが、高品質(インパクトが高い)とみなされる発明ほど、早期の英語アクセスが効くという示唆だ


つまり、翻訳の遅れは単なる“事務的な遅延”ではなく、誰が次の発明に辿り着けるかという競争条件そのものを左右している。



「大企業は越えられるが、中小は越えにくい」という構図

ここで直感に反する点がある。


「本当に価値のある技術なら、誰かが勝手に翻訳して広まるのでは?」
この感覚は半分正しいが、半分落とし穴がある。


研究が示すのは、翻訳は“勝手に”起きるというより、翻訳できる体力がある主体に有利に働くという現実だ。大企業なら、専門翻訳者を雇ったり、日本語資料を読める人材を抱えたり、現地拠点で情報収集したりできる。だから言語の壁は「コスト」ではあっても「致命傷」にはなりにくい。


一方で、中小企業やスタートアップにとって翻訳は重い。

  • 翻訳費用が固定費としてのしかかる

  • 技術分野が狭いほど専門用語の精度が要求される

  • そもそも“どの特許を訳すべきか”を見極める目利きにもコストがかかる


結果、英語で入手しやすい情報に研究開発が寄りがちになり、言語的に遠い地域の“芽”を取りこぼす。これが積み重なると、国際的な技術の流れは、能力のある企業・国に偏っていく。



高品質な発明ほど「狙い撃ち翻訳」が難しい?

もう一つ面白いのは「高品質な発明ほど、効果が強い」という点だ。
普通に考えると、重要な発明なら真っ先に翻訳されそうだ。しかし現実はそう単純ではない。


理由は「翻訳の目利き」の難しさにある。出願直後の特許は、価値が確定していない。しかも特許文書は、読みやすさよりも権利範囲の主張が優先されるため、内容理解のコストが高い。ここで必要になるのが、

  • 技術が分かる

  • 特許の書きぶりが分かる

  • 将来性を見抜ける
    という、かなり贅沢なスキルセットだ。


研究の示唆は、こうした“狙い撃ち翻訳(価値が高いものを優先して正確に訳す)”が難しい局面があり、だからこそ早期に英語アクセスが整う政策変更が、特に価値ある発明の拡散を押し上げる、という構図になっている。



SNSの反応(論点別に整理)

今回の話題は「翻訳」「特許」「日本→海外」という要素が重なり、SNSでは論点が分岐しやすい。実際に目立った“反応の型”を、投稿内容の傾向として整理すると次のようになる。


1)「結局、英語が強すぎる」派

  • 科学・技術の発信が英語に集中するほど、非英語圏の成果が“遅れて届く”

  • 英語圏にとっては見えにくいが、非英語圏には常に“二重の作業”(研究+翻訳)がある
    という、構造問題として受け取る声。

2)「AI翻訳で解決するのでは?」派

  • 機械翻訳や生成AIで翻訳コストが下がるなら、問題は急速に縮むはず

  • ただし特許は法律文書なので、誤訳のリスクが大きい
    という期待と慎重論のセット。特に「正確さが命」の分野ほど、楽観一辺倒になりにくい。

3)「影響が大きいのは中小企業」という点に反応する派

  • グローバル競争は、資金力だけでなく“言語アクセス”でも格差が広がる

  • 中小企業支援は補助金だけでなく、情報インフラ(翻訳・検索・要約)の整備が効くのでは
    といった政策・産業支援の議論に接続する反応。

4)「特許って、そもそも読まれてるの?」派

  • 特許文書は読みにくい、量が多すぎる、ノイズも多い

  • それでも引用という形で“技術の系譜”は残り、分析対象としては強い
    という、特許制度そのものへのツッコミ。これは技術者コミュニティで起きやすい反応だ。


※なお、記事公開直後のPhys.org側ではコメント欄が活発化している状況ではなく、議論はSNSや外部コミュニティに分散しやすいタイプの話題と言える。



じゃあ、何を変えると「拡散」は速くなる?

研究が示す方向性は、単に「翻訳を増やそう」では終わらない。ポイントは“誰に効くか”だ。
効果が大きいのが翻訳力の乏しい企業だとすれば、政策や仕組みは次のような形が現実的になる。

  • 公的な翻訳・要約インフラ:特許庁や公的機関が、一定品質の翻訳を早期に提供する

  • 検索・分類の強化:翻訳だけでなく「発見可能性」を上げる(同義語・技術分類・引用ネットワークの可視化)

  • 品質保証の仕組み:機械翻訳+専門家レビューのハイブリッドで、誤訳コストを下げる

  • 中小企業向けの“翻訳力”支援:翻訳そのものへの補助ではなく、社内で判断できる体制(リテラシー)を育てる


重要なのは、翻訳を「民間の努力」に任せきりにすると、翻訳できる側がますます有利になる点だ。研究者が「早期公開・早期の英語アクセス」を公共財と捉えるのは、まさにここに理由がある。



おわりに:言語は“文化”ではなく“インフラ”である

言語の違いは、文化の違いとして語られがちだ。しかしイノベーションの現場では、言語は文化ではなくインフラだ。道路が未整備なら物流が滞るように、翻訳が滞れば知識の流通も滞る。そして、その遅れは平等に発生しない。体力のある主体が先に渡り、体力のない主体は取り残される。


もし世界が、研究や発明の速度を本気で上げたいなら、「優れた発明を増やす」だけでは足りない。優れた発明が“読める形”で、必要な人に、必要なタイミングで届く——その当たり前を支える仕組みが、次の競争力になるのかもしれない。



出典URL

  1. 一般向け解説・研究概要
    https://phys.org/news/2026-02-language-barriers-international-diffusion-knowledge.html

  2. 論文の抄録(サンプル数2,770、言語障壁が遅れの約半分、影響が大きい企業属性などの要点)
    https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/41652157/

  3. 掲載誌(Nature Human Behaviour)側の当該論文の案内(編集部による短い紹介文・掲載日情報)
    https://www.nature.com/nathumbehav/articles?year=2026

  4. 関連イベント情報(RIETI:言語障壁と知識拡散の要旨をイベント報告として整理)
    https://www.rieti.go.jp/en/events/22102502/info.html

  5. 関連作業論文(RIETI Discussion Paper:詳細版PDF)
    https://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/22e074.pdf