「怪しい送金」は過去最多 ― フランス27万件、日本100万件が映す“金融犯罪の工業化”

「怪しい送金」は過去最多 ― フランス27万件、日本100万件が映す“金融犯罪の工業化”

27万件の「違和感」が示すもの

犯罪資金は、いかにも怪しい大口送金の姿をしているとは限らない。短期間だけ存在する会社を経由し、複数の口座へ分散され、暗号資産に換えられ、さらに別の国へ移される。正常な商取引に紛れ込ませる速度と複雑さは増し、金融犯罪は一部の熟練者による職人的な不正から、役割分担されたネットワークによる「工業化」へと変わりつつある。

その変化を映す数字がフランスから届いた。フランス経済・財務省に属する資金情報機関Tracfinが2025年に受けた「疑わしい取引」の届出は27万8,484件。前年から32%増え、過去最多を更新した。2024年もすでに記録的な水準だったため、単なる反動増ではない。

疑わしい取引の届出とは、犯罪が確定したという告発ではない。銀行や保険会社、暗号資産サービス事業者、公証人など、顧客や資金移動に接する専門職が、マネーロンダリング、脱税、汚職、テロ資金供与などに関係する合理的な疑いを持った際、当局へ知らせる制度だ。現場で生じた「通常の顧客行動とは違う」という小さな異常を集め、別々の口座や法人、人物のつながりを資金情報機関が分析する。

重要なのは、届出件数の増加がそのまま犯罪件数の32%増を意味しない点である。事業者の監視能力が高まった結果かもしれず、基準の見直しや自動検知の普及によって警報が増えた可能性もある。数字が示すのは、犯罪の全体量というより、金融システムが拾い上げた「疑い」の総量だ。


金融部門93%、非金融部門7%という偏り

フランスの届出の93%は、銀行、信用機関、暗号資産関連事業者など金融部門から寄せられた。資金移動を継続的に観察し、取引パターンを機械的に検知できる金融機関が中心になるのは自然だが、裏を返せば、犯罪資金が銀行以外を通る場面で監視の網が薄くなる恐れがある。

非金融部門の構成比は7%にとどまったものの、件数は前年比38%増えた。公証人は64%増、ゲーム事業者は38%増、商事裁判所の書記局は23%増、自主的競売の運営者は64%増だった。不動産、賭博、高額品、会社設立・清算といった領域は、資金の出所を見えにくくしたり、犯罪収益を正当な価値へ置き換えたりする舞台になり得る。そこで働く専門家からの情報が増えたことは、監視の裾野が広がったと評価できる。

ところが、2010年から届出義務を負うスポーツエージェントからは、今回も届出がゼロだった。ゼロは必ずしも不正がないことを意味しない。高額な移籍金、仲介料、肖像権、国境をまたぐ契約など、複雑な資金移動が起こり得る業界で届出が一件もないなら、制度の認知、実務能力、監督、業界文化のいずれかに空白がある可能性を検討すべきだろう。

この「よく届ける業界」と「ほとんど届けない業界」の差は、統計を読む際の最大の注意点である。届出地図は犯罪地図そのものではなく、監視能力と報告文化の地図でもある。


使い捨て会社を止める「時間との競争」

届出の価値は、受け取った件数ではなく、犯罪資金が消える前に動けるかで決まる。フランスで注目されるのが、「circuit court」と呼ばれる迅速な連携手続きだ。直訳すれば短い経路。疑わしい資金を見つけた銀行、Tracfin、検察・司法が長い分析工程を待たずにつながり、口座資金を早期に差し押さえる。

標的の一つは、短期間だけ活動して消える「使い捨て会社」である。実体の乏しい法人の口座に複数の資金を集め、別口座へ送り、会社そのものを閉じる。従来型の調査では、関係資料を集めている間に口座が空になり、法人も姿を消してしまう。迅速ルートは、この時間差を縮める発想だ。2025年には、この仕組みを通じて約4,000万ユーロが押さえられたとされる。

ここには日本にも通じる教訓がある。高度なAI分析を導入しても、検知後の照会、口座凍結、捜査着手に数週間かかれば、即時送金と暗号資産を組み合わせる犯罪者には追いつけない。必要なのは「見つける技術」だけではなく、「止める手続き」の短縮である。


暗号資産は“見えない金”ではない

Tracfinは2025年、暗号資産に対して初めて異議申立権を行使し、疑わしい資産の移転を差し止めた。暗号資産関連で司法当局へ送られた情報も前年の2倍になったという。

暗号資産は匿名性ばかりが強調されるが、多くのブロックチェーンでは取引履歴そのものは公開される。問題は、ウォレットの背後にいる人物の特定、複数チェーンや交換サービスをまたぐ移動、自己管理型ウォレット、国外事業者との接続である。取引記録が残っても、現実の人物や法人と結びつけられなければ捜査は進まない。一方、交換業者の本人確認情報、銀行口座、端末情報などがつながれば、従来の現金より追跡しやすい場面もある。

フランスの初の差し止めは、暗号資産を特別扱いせず、犯罪収益を構成する一つの資産として実際に止める段階へ移ったことを象徴する。日本でもトラベルルールや本人確認、疑わしい取引の届出を、形式的な書類作成で終わらせず、チェーン分析と法定通貨側の情報を結び付ける運用が重要になる。


公金を狙う詐欺は「産業」になった

Tracfinは2025年、国家財政に損害を与えた疑いのある740件を司法当局へ送った。前年比17%増で、金額は約32億ユーロに上る。背景にあるのは、補助金や給付制度を狙う詐欺の高度化だ。

公的支援制度は、多数の申請を短期間で処理する必要がある。そこに犯罪組織が目を付け、偽造書類、架空法人、名義人、資金洗浄担当を分業すれば、一件ずつは小さく見える申請を大量に流し込める。行政のデジタル化が利便性を高める一方、犯罪側にも規模の利益を与えてしまう。

フランス当局が「より洗練され、工業化された」と警戒するのはこのためだ。これは日本の給付金詐欺、還付金詐欺、補助金の不正受給にも重なる。制度設計の段階から、不自然な法人の連続設立、同一端末・住所・振込先の反復、申請直後の資金分散などを横断的に検知しなければならない。


日本ではすでに100万件を超えた

日本の警察庁・犯罪収益移転防止対策室の年次報告によると、2025年の疑わしい取引の年間通知件数は101万9,405件。前年の84万9,861件から約20%増え、初めて100万件を超えた。電子申請は101万6,227件で全体の99.7%に達する。

内訳を見ると、銀行等が69万555件で全体の67.7%。金融機関等全体では95万7,286件となり、約94%を占める。フランスの金融部門93%と驚くほど似た構造だ。制度上の定義や報告経路が異なるため件数を単純比較することはできないが、両国とも「金融機関では大量に検知できる一方、非金融分野の情報が相対的に薄い」という同じ課題を抱えている。

日本の件数がフランスの約3.7倍だから、日本の犯罪が3.7倍多いとは言えない。届出対象、システムが出すアラートの基準、重複や一連取引の数え方、業者数、行政への通知方式が違うからだ。むしろ比較すべきは、届出のうち何件が有用な分析につながったか、どれだけ早く捜査機関へ提供されたか、いくらの犯罪収益を保全・剥奪できたか、そして誤検知による顧客負担をどこまで抑えたかである。


SNSで見えた三つの反応

今回の数字をめぐる公開SNS上の反応をみると、少なくとも三つの論点が浮かぶ。ただし、公開検索で確認できた投稿は、主にコンプライアンス実務家が集まるLinkedIn上の議論であり、フランス国民全体の世論を示すものではない。また、記事公開直後のため、今回の記事そのものへの反応より、Tracfinの届出制度をめぐる直近の継続的な議論を参照している。

第一は、届出を犯罪金融に対する「現場の第一防波堤」と評価する声だ。顧客に最も近い銀行員や専門職の違和感がなければ、当局は資金の入口をつかめない。守秘義務が実務上も確実に守られてこそ、担当者が報復や顧客との対立を恐れず報告できるという指摘もある。

第二は、量より質を問う声である。届出が急増しても、根拠が薄いまま機械的に送られた情報が多ければ、分析官の時間を奪い、本当に危険な案件を埋もれさせる。SNS上では「実際に何%が活用されたのか」「人員の伸びが件数増加に追いついていない」「責任回避のための過剰報告になっていないか」といった疑問が出ている。フランス銀行も、大量の情報には分散のリスクがあり、情報の質には改善の余地があると公に指摘してきた。

第三は、現場負担とプライバシーへの懸念だ。顧客との信頼関係の中で働く専門家にとって、取引を秘密裏に報告する行為は心理的にも実務的にも重い。ルールが曖昧なまま罰則だけを恐れれば、少しでも異例な取引を報告する「防衛的届出」や、説明のない口座解約につながりかねない。監視強化への支持と同時に、透明な基準、異議申立て、正当な顧客を傷つけない運用を求める声があるのは当然だ。

これらの反応は対立しているようで、実は同じ方向を向いている。届出制度を弱めたいのではなく、使える情報を安全に集め、適切な人員と技術で分析し、成果につなげてほしいという要求である。


日本が学ぶべきは「件数競争」ではない

日本がフランスから学ぶべき第一の点は、迅速な資産保全を成果指標に据えることだ。分析レポートを作るだけでなく、銀行、資金情報機関、警察・検察、税関、税務当局が、法的根拠と責任分担を明確にした短い経路で動く。とりわけ、短命な法人や資金移動業者、暗号資産をまたぐ案件では、時間が最大のリスクになる。

第二は、非金融分野の底上げである。不動産、宝石・貴金属、士業、郵便物受取サービスなどは、犯罪収益の換価、名義の偽装、法人の実体隠しに使われ得る。日本の報告でも、指定非金融業者・職業専門家からの届出が全体に占める割合は低い。業界ごとの件数だけを増やすのではなく、典型事例、危険指標、相談窓口、フィードバックを整え、現場が「何を、なぜ疑うのか」を説明できる状態にする必要がある。

第三は、件数と同時に質を測ることである。AIによる取引監視は不可欠だが、アラート数を増やすだけでは成功ではない。同一人物や関連法人を束ねる機能、口座の入出金だけでなく申請情報や端末、送付先などをつなぐ能力、分析官が判断根拠を追跡できる説明可能性が求められる。成果の公表でも、届出総数だけでなく、捜査への提供、凍結・没収、被害回復、誤検知の是正を組み合わせるべきだ。

第四は、届出担当者と正当な顧客の双方を守ることだ。疑わしい取引の情報は高度に機密であり、漏えいすれば担当者の安全と制度への信頼を損なう。他方、アルゴリズムによる判定を理由に、顧客が説明も救済もなく金融サービスから排除される事態も避けなければならない。犯罪者に検知ロジックを明かさないことと、正当な利用者に最低限の手続的保障を与えることは、両立させる必要がある。


警報の数から、止めた被害へ

フランスの27万8,484件、日本の101万9,405件という記録は、社会の監視能力が上がった証拠であると同時に、金融犯罪が日常の取引網に深く入り込んでいる警告でもある。

犯罪組織は、銀行口座、会社、補助金、暗号資産を別々の道具としてではなく、一続きの仕組みとして使う。対抗する側も、業界や行政機関ごとに情報を閉じ込めていては勝てない。必要なのは、疑いを拾う人、情報を結ぶ人、資産を止める人、犯罪を立証する人が、合法かつ迅速につながる設計だ。

これから問われるのは「何件届け出たか」だけではない。そのうち何件から犯罪の構造を解明し、いくらを被害者や公金のために守り、どれだけ次の犯行を防いだかである。警報が鳴った回数を誇る段階から、警報を行動へ変えた成果を競う段階へ。フランスの急増データは、日本にもその転換を迫っている。


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