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台湾沖から日本列島へ:縄文人は「出会わなかった」? ―デニソワDNA“ほぼゼロ”が語る列島史

台湾沖から日本列島へ:縄文人は「出会わなかった」? ―デニソワDNA“ほぼゼロ”が語る列島史

2025年11月13日 00:12

「縄文人に“デニソワの影”ほぼなし」が意味すること

「縄文人にはデニソワ人由来DNAがほとんどない」――この一文が、東アジアの人類史の地図を静かに塗り替えつつある。報じたのは2025年11月11日付のLive Science。基になったのは、マックス・プランク進化人類学研究所などの国際チームがCurrent Biologyに発表した大規模ゲノム研究で、ユーラシア各地の古代人・現代人ゲノムを横断的に比較し、東アジアにおけるデニソワ人との交わり(交雑)の歴史を“時間×空間”で描いたものだ。結論のひとつが、日本列島の先史時代集団「縄文人」にデニソワ祖先性が“意外なほど少ない”という事実である。Live Science mpg.de


何をどう調べた?

研究チームは、ユーラシア各地の古代ホモ・サピエンス115個体と現代人279名のゲノムを解析。デニソワ人に由来する微小なDNA断片を“指紋”として追跡し、過去4万年の間にどこでどれだけ交雑が起きたかを推定した。結果、最も高いデニソワ祖先性が確認されたのは約4万年前の中国・田園(Tianyuan)個体で、その割合はおよそ0.25%。一方、縄文の個体では“きわめて低い”水準にとどまった。Live Science


数字が語る“対照”

Live Scienceの解説では、約3755年前の縄文個体が示すデニソワ祖先性は、現代東アジア人(平均約0.1%とされる)と比べて「6分の1〜8分の1」程度だという。言い換えれば、縄文個体は、同地域の他集団に比べてデニソワ由来の痕跡が“桁違いに薄い”。この「薄さ」は偶然ではなく、集団史の違いを反映している可能性が高い。Live Science


なぜ縄文は“薄い”のか――2つの仮説

研究は明確な機序を断定していないが、少なくとも2つの説明が提示される。

  1. 初期の東アジア拡散において、一部の系統はデニソワ人と接触せずに沿岸アジアへ到達した。

  2. デニソワ人は地理的に疎に分布し、接触機会そのものが稀だった。
    両説はいずれも、縄文が「大陸東アジアの一般的な交雑史」から外れた経路をたどったことを示唆する。mpg.de


それでも日本列島に“デニソワの影”は入ってきた

興味深いのは、古墳期(西暦300–710年頃)の個体には縄文より多くのデニソワ祖先性が見える点だ。これは、弥生〜古墳期にかけての大陸からの移住がDNAレベルで列島に波及した結果と解釈できる。古代日本の形成を三系統(縄文・北東アジア・東アジア)から説明する「三重構造」モデルや、古墳期の東アジア由来の流入を示す研究とも整合的だ。Live Science


東西ユーラシアで“濃淡が逆転”

解析では、古代の「大陸東アジア」個体群のほうがデニソワ祖先性は全体に高く、逆に古代西ユーラシア(イランやジョージアなど)では最小だった、という地理的勾配も示された。デニソワDNAは人類移動の“追跡染料”のように振る舞い、初期の接触の記憶を地理に刻んでいる。Live Science


「デニソワ人」はどこにいたのか

2025年春には、台湾沖の海底から見つかった下顎骨がデニソワ人のものと同定されたという報道もあった。DNAは得られなかったが、歯のエナメル質のタンパク分析で判定され、デニソワ人の分布がシベリアから中国内陸、青海チベット高原、さらには台湾近傍にまで広がる可能性が補強された。広域分布だったからこそ“接触の偏り”も生じ得た――縄文の“薄さ”は、その偏りの一断面かもしれない。Reuters


まだ埋まっている“2.3万年分の空白”

今回の結論は現時点のデータに依存している。最古の縄文ゲノムは約9,000年前のもので、3.2万年前からの人類居住証拠はあるが、その期間の古代DNAは未解読だ。ここが埋まれば、縄文系統が「いつ」「どこで」大陸系から分かれ、どの段階で“デニソワの影”を受けなかったのかがさらに明瞭になるだろう。Live Science


SNSの反応―日本語圏中心に拾い読み

 


研究発表以降、X(旧Twitter)では考古・人類学クラスタを中心に次のような反応が見られた(いずれも要旨の意訳)。

  • **「縄文は東アジアで最小のデニソワ影響」**というポイントを整理し、今後の追加データに期待する声(研究紹介アカウントのスレッド)。X (formerly Twitter)

  • **「縄文は深く分岐した系統+沿岸東アジア祖先の混合」**という枠組みに今回の結果がハマる、という指摘(趣味系アカウントによる論文メモ)。X (formerly Twitter)

  • **「オンゲ(アンダマン)と並んで縄文はデニソワが少ない」**という比較を挙げ、寒冷適応や古地理との関連を議論するポスト。X (formerly Twitter)

  • 学術ニュースが一般誌にも波及し、IFLScienceなど海外のサイエンスメディアが拡散。一般読者向けの噛み砕き記事が多数共有された。IFLScience

※SNSの要旨は筆者による抄訳・要約。原文はリンク先を参照。


研究者のコメントが示す“読み方”

マックス・プランク側は「デニソワDNAは集団史を復元する強力なマーカー」と強調。とくに東アジアでは“共通の接触イベント”の痕跡を各時代の個体が共有しており、その後に大陸側で起きた**“薄める”混合(dilution)が時間とともに比率を下げた、とする見解が示されている。縄文はその“薄め”がかからない、あるいはそもそも主たる接触を経験していない**系統として際立つ。mpg.de


日本列島史へのインプリケーション

  • 縄文は「例外」ではなく、多様な東アジアの一断面。

  • 弥生〜古墳の移住による大陸成分の流入が、列島のデニソワ祖先性を押し上げた可能性。PMC

  • 21世紀に確立しつつある三重構造モデル(縄文+北東アジア+東アジア)や、古墳期の移住像とも相互補強的。ScienceDaily


リミテーションと次の一歩

  • 年代の偏り:縄文の古い層(〜3万年前)の直接データが欠落。Live Science

  • 地理の偏り:東アジア南縁や島嶼部の古代ゲノムは依然として少ない。

  • デニソワ化石の乏しさ:台湾沖の顎骨のように、存在域は広いが物証が限られる。Reuters

それでも、今回の研究は“人が人と出会った痕跡”をDNAの微細な断片から描き出せることを示した。日本列島の起源史もまた、単線ではなく、重なりと空白のコラージュとして見えてくる。



参考記事

研究によると、日本の先史時代の縄文人は、謎のデニソワ人からのDNAを「ほとんど持っていなかった」ことが判明
出典: https://www.livescience.com/archaeology/human-evolution/prehistoric-jomon-people-in-japan-had-little-to-no-dna-from-the-mysterious-denisovans-study-finds

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