メインコンテンツにスキップ
ukiyo journal - 日本と世界をつなぐ新しいニュースメディア ロゴ
  • 記事一覧
  • 🗒️ 新規登録
  • 🔑 ログイン
    • English
    • 中文
    • Español
    • Français
    • 한국어
    • Deutsch
    • ภาษาไทย
    • हिंदी
クッキーの使用について

当サイトでは、サービスの向上とユーザー体験の最適化のためにクッキーを使用しています。 プライバシーポリシー および クッキーポリシー をご確認ください。

クッキー設定

クッキーの使用について詳細な設定を行うことができます。

必須クッキー

サイトの基本機能に必要なクッキーです。これらは無効にできません。

分析クッキー

サイトの使用状況を分析し、サービス向上に役立てるためのクッキーです。

マーケティングクッキー

パーソナライズされた広告を表示するためのクッキーです。

機能クッキー

ユーザー設定や言語選択などの機能を提供するクッキーです。

「神の不在」と向き合う勇気:マザー・テレサが本当に英雄的だった理由 - テレサの“暗闇”が私たちを照らす

「神の不在」と向き合う勇気:マザー・テレサが本当に英雄的だった理由 - テレサの“暗闇”が私たちを照らす

2025年09月07日 11:09

1. 「英雄性」はどこにあったのか

マザー・テレサの英雄性は、華やかな受賞歴でも壮大な業績でもない。列聖のための調査を統括したブライアン・コロディエイチュク神父は、「彼女の本当の英雄性は“暗闇”にこそある」と語る。感じられない神、応答のない祈り――それでも彼女は奉仕をやめなかった。笑顔の裏側に、純粋で裸のような信仰が持続していたのだ。これは「感じるから信じる」ではなく、「感じなくても信じ、愛を選ぶ」という反転の論理である。 Catholic Online


2. 2007年の衝撃:書簡が開いた“もう一つの顔”

2007年、書簡集『Mother Teresa: Come Be My Light』が公刊され、彼女が50年近く「神の不在」を味わっていたことが世界に知られた。手紙には「祈っても刃のように突き返される」感覚や、天国や神の存在すら揺らぐほどの乾きが綴られている。だが、その内面の闇は沈黙のうちに保持され、外側では笑顔と奉仕が継続された――その緊張こそ、彼女の生のドラマである。 TIMEFranciscan Media


3. “暗夜”は病か、それとも賜物か

暗闇の体験は、現代のメンタルヘルスの言葉では「抑うつ」のようにも聞こえる。一方で、近年の研究・シンポジウムは、テレサのケースを単純な臨床カテゴリーに還元すべきではないと指摘する。ロヨラ大の研究者は、彼女の「暗夜」は信仰を成熟させ、奉仕の根を太くする神秘的なプロセスだった可能性を論じた。苦悩は麻痺ではなく駆動力に変換され、外的な献身がむしろ強化されているからだ。 Catholic News Agency


4. カルカッタから広がったネットワーク

テレサはロレト会を離れて「最も貧しい人々」へ向かう“呼びかけの中の呼びかけ”を受け、1950年に「神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)」を創立。以降、姉妹会・兄弟会・司祭会・在俗会と広がり、世界中で孤児、病者、ハンセン病患者、路上生活者らに寄り添う拠点を築いた。理念はシンプルでラディカル――「小さなことを大きな愛で」。 Catholic Online


5. 列聖の瞬間とSNSのざわめき

2016年9月4日、ローマには「何万もの群衆」が集まり、X(旧Twitter)上には現地の熱気があふれた。主要メディアの投稿は、広場を埋める人波や式の進行をリアルタイムで伝え、祝祭的なムードを可視化した。こうした視覚情報は、彼女がすでに“人々の記憶の中の聖人”であったことを裏づけた。 X (formerly Twitter)

 



6. 「暗闇」をめぐるオンラインの会話

一方で、テレサ像をめぐるネット上の議論は一枚岩ではない。カトリック系メディアの投稿は、彼女の「暗闇」の公表が信仰共同体に与えた衝撃と慰めを指摘し、暗夜の体験が“信仰の成熟”として受け止められる文脈を提示した。対照的に、掲示板やSNSの一部には、活動の医療的妥当性や制度運営を疑問視する声も存在する。賛否が同居するのは、テレサが“普遍的な象徴”へ拡大した証でもある。 FacebookX (formerly Twitter)Reddit


7. 日本語圏での受容と応用

日本でも、テレサの「暗闇」は心理学的・神学的に読み直されてきた。彼女の“神の似姿(イマゴ・デイ)”へのまなざしを、超高齢社会・分断・孤立という課題の文脈で再配置する研究は、宗教を越えた倫理的示唆を提供する。感情の乏しい時でも、尊厳の視点を保つこと――それは介護、教育、地域福祉の現場で実践可能な小さな革命だ。 上智大学リソースセンター


8. “感じる”から“選ぶ”へ――私たちへの宿題

テレサの物語が刺さるのは、「喜びは感じるものである」と同時に「喜びは選ぶものである」という二重性を体現したからだ。手応えのない夜に、なお笑顔でドアを叩く。祈りが乾いても、スープをよそう手は止めない。その一貫性は、SNS時代の“可視性の宗教”に対する静かなカウンターだ。私たちが学べるのは、感情の気象に支配されない、意思としての慈愛である。


9. 結語――闇は終点ではなく、出発点である

彼女の“暗闇”は敗北の記録ではない。むしろ、応答のない夜をくぐり抜けながら、誰かの叫びに応答するためのスペースを心に空け続けた記録だ。だからこそ、テレサの英雄性は“強さ”の誇示ではなく、“弱さ”の受容にあった。闇は終点ではない。誰かのために動き出す、静かな出発点なのだ。 Catholic OnlineCatholic News Agency


参考記事

マザー・テレサを本当に英雄的にしているものが何か知っていますか?
出典: https://www.catholic.org/news/hf/faith/story.php?id=75125

Powered by Froala Editor

← 記事一覧に戻る

お問い合わせ |  利用規約 |  プライバシーポリシー |  クッキーポリシー |  クッキー設定

© Copyright ukiyo journal - 日本と世界をつなぐ新しいニュースメディア All rights reserved.