地球温暖化の真実とは?「気候モデルは間違っている」の本当の意味 ― 科学者が突きつけた精密化競争の限界

地球温暖化の真実とは?「気候モデルは間違っている」の本当の意味 ― 科学者が突きつけた精密化競争の限界

「モデルへの反乱」という刺激的な言葉

「気候モデルに対する研究者の反乱」。そんな刺激的な見出しが示すのは、人為的な地球温暖化をめぐる科学的合意の崩壊ではない。むしろ、温暖化を理解するために長年使われてきたコンピューター・シミュレーションを、どの目的に、どの精度で、どう使うべきかという科学内部の方法論争である。

気候モデルは、大気や海洋の流れ、放射、雲、海氷、植生、炭素循環などを物理法則に基づいて計算する。世界各地の研究機関が開発したモデル群は、過去の気候を再現し、温室効果ガスが増えた場合と増えなかった場合を比較し、将来のリスクを考える基盤になってきた。

しかし、地球は実験室の装置ではない。同じ地球を二つ用意して条件を変えることはできず、2100年の観測結果を待ってから予測手法を採点することもできない。モデルは現実のコピーではなく、複雑な地球の一部を数式と仮定で切り取った道具だ。この当然の事実が、政策の場やニュースの見出しでは見えにくくなる。


問題提起の中心は「もっと細かくすれば正しくなるのか」

今回の論争を理解する鍵の一つが、2026年7月にPLOS Climateへ掲載されたフランス国立気象研究センターのエルヴェ・ドゥヴィル氏の論考だ。IPCC第6次評価報告書で第1作業部会の統括執筆者を務めた同氏は、すべての気候モデルは現実と完全には一致しないが、目的を正しく限定すれば極めて有用だと論じた。

特に疑問を投げかけたのが、格子を細かくし、地球を1キロメートル規模で表現する超高解像度モデルへの競争である。解像度が高くなれば、従来は平均化して扱ってきた積乱雲や海洋渦などを、より直接的に表現できる可能性がある。局地的な豪雨や沿岸部の変化を知りたい自治体にとって、細かな地理情報は魅力的だ。

だが、「細かい」ことは自動的に「正しい」ことを意味しない。雲と放射の相互作用、土壌や森林による炭素吸収、海洋の長期変動といった仕組みに誤差が残れば、格子だけを細かくしても不確実性は消えない。高解像度化には膨大な計算資源が必要で、一つの精密な計算に集中すれば、初期条件やパラメーターを変えた多数の試行が難しくなる。

ドゥヴィル氏の試算では、現在世代からキロメートル級モデルへ移る際に必要な計算資源は、時間刻みを短くする負担も含め、典型的には約1000倍に達し得るという。ここで問われているのはスーパーコンピューターの性能そのものではなく、限られた資源を「一枚の超精密な未来図」に使うのか、「粗さの異なる多数の未来」を比較するために使うのかという優先順位だ。


一つの未来ではなく、「未来の束」を見る

気候の将来には、大きく分けて三つの不確実性がある。

一つ目は、将来どれだけ温室効果ガスを排出するかという社会・経済シナリオの不確実性だ。エネルギー政策、技術革新、人口、戦争、景気、国際協力は物理法則だけでは予測できない。IPCCのシナリオは「予言」ではなく、条件を置いた場合の比較材料である。

二つ目は、雲、エアロゾル、海洋、炭素循環などをどう表現するかというモデルの不確実性だ。異なる研究機関のモデルは、共通の物理法則を土台にしながらも、細かな過程の表現や調整方法が異なる。そのため、同じ排出シナリオでも結果には幅が生じる。

三つ目は、気候システム自身が持つ自然変動だ。海洋と大気はカオス的に変動し、初期条件をわずかに変えるだけでも、特定地域の数十年規模の雨や気温の推移は違って見えることがある。世界平均の長期的な温暖化傾向が同じでも、ある地域では一時的に傾向が弱まり、別の地域では強く現れ得る。

このため研究者は、一つのモデルを一度だけ動かすのではなく、初期条件を少しずつ変えた大規模アンサンブルを使う。ドゥヴィル氏は、目的によっては5回程度で足りる一方、100回を超える試行が必要な場合もあると指摘する。精細な一回の映像より、ばらつきを含む多数の結果の方が、洪水対策や農業、水資源、都市計画の判断には役立つ場合があるのだ。


「気候感度」は一つの確定値ではない

気候モデルをめぐる議論では、「二酸化炭素が2倍になったとき、最終的に地球の平均気温が何度上がるか」を示す平衡気候感度がよく登場する。IPCC第6次評価報告書は最良推定値を3度、可能性が高い範囲を2.5~4度、非常に可能性が高い範囲を2~5度と評価した。

この幅を見て「科学は何も分かっていない」と考えるのは誤りだ。二酸化炭素が熱を閉じ込め、人間活動が近年の温暖化の主因であることと、雲などのフィードバックを含む最終的な温度応答に幅があることは両立する。

また、平衡気候感度は「2100年までに必ず3度上がる」という予報ではない。二酸化炭素濃度を2倍に固定し、海洋を含む気候システムが長期的に釣り合うまで待ったときの応答を表す指標だ。現実の今世紀の気温は、排出量、二酸化炭素以外の温室効果ガス、大気汚染物質、自然変動などにも左右される。


限界の告白は、失敗の宣言ではない

気候モデルにバグや調整が存在することも、論争を過熱させやすい。2025年に公表されたICONモデル開発者への研究では、100万行を超えることもある巨大なコードの中で、バグをどう発見し、修正し、伝えるかが調査された。開発者は、モデルに誤りが一つもないことではなく、特定の問いに答えるうえで十分かどうかを実務的に判断している。

これは飛行機の設計や薬の効果判定とは異なる意味で、科学の弱さではない。モデルの適用範囲を明確にし、結果が目的に耐えるかを検証するという、モデル科学の基本姿勢である。危ういのは、利用者がその条件を知らないまま、細かな地域予測を確定的な未来として受け取ることだ。

一方で、過去のモデルが全体として無力だったわけでもない。1970年代以降に公表された地球平均気温の予測を後年の観測と比較した研究では、実際の放射強制力との差を考慮すると、多くのモデルがその後の温暖化を整合的に捉えていた。モデルは日付と場所を指定して未来の天気を当てる水晶玉ではないが、温室効果ガス増加に対する世界平均の長期応答を考える道具として実績を持つ。

したがって、今回の批判は「モデルが外れたから温暖化対策は不要だ」という話ではない。むしろ、不完全なモデルを完全な地球の複製のように売り込み、政策判断の責任まで計算結果に預けることへの警告である。


なぜ研究者は「同僚の沈黙」を問題にするのか

モデル開発は巨大な国際プロジェクトになり、研究費、計算機資源、国家間の技術競争、気候サービスの市場とも結びつく。より高解像度で華やかな可視化は、研究計画の魅力を説明しやすい。反対に、「精密化しても消えない不確実性がある」「用途によっては既存モデルを多数動かす方が有効だ」という説明は地味である。

さらに、気候変動をめぐる政治的対立が強い環境では、モデルの弱点を公に語ることが温暖化否定に利用されるとの警戒もある。その結果、科学者が正当な内部批判をためらえば、外部から問題が見つかったときに、かえって科学への信頼を傷つける可能性がある。

不確実性を隠さず語ることは、科学的合意を弱める行為ではない。「何がかなり確かで、何がまだ幅を持ち、どの用途では信頼度が下がるのか」を区別することこそ、信頼の条件になる。


SNSで見えた三つの反応

公開されているSNS投稿や記事共有への反応は、世論調査ではなく、反応の全体量や割合を示すものではない。その前提で見ると、議論は大きく三方向に分かれている。

第一は、「モデルは間違っている」という言葉を、これまでの温暖化予測全体の否定として受け取る反応だ。高額な脱炭素政策を不確実な計算に基づいて進めてよいのか、という疑問もここに重なる。この懸念は政策コストの議論としては重要だが、モデルの局地的・長期的限界と、人為的温暖化を示す観測や物理法則まで一括して否定するのは飛躍である。

第二は、批判を科学の健全な自己修正として歓迎する反応だ。精度を装うより、条件と誤差幅を公開し、多様なモデルや観測を組み合わせる方がよいという見方である。論文を紹介した研究関係者の投稿でも、モデルが近年の変化を過小評価する場合があることや、物理過程と調整の関係をもっと透明にすべきだという問いが出ている。

第三は、不確実性は「何もしない理由」ではなく、「外れ方を想定して備える理由」だとする反応だ。堤防、排水、熱中症対策、農業品種、水源管理のような投資では、単一の中心予測だけでなく、悪い側に外れた場合まで含めた頑健な選択肢が求められる。これは保険と同じで、事故の日時を正確に予言できないから保険が無意味になるわけではない。

SNSでは、専門的な「予測」「投影」「シナリオ」「アンサンブル」の違いが一つの「当たる/外れる」に圧縮されやすい。刺激的な見出しだけが共有されれば、研究者の主張とは逆に、モデル批判が科学否定の材料になる危険がある。


日本に必要なのは「解像度」より、使い方の設計

台風、豪雨、猛暑、豪雪、渇水など地域差の大きい災害を抱える日本では、細かな気候情報への需要は高い。自治体や企業は、工場やデータセンターの立地、河川整備、農作物、電力需要を具体的な地域単位で判断しなければならない。

しかし、地図が細かいほど確度も高いと受け取るのは危険だ。数キロ単位の色分けが表示されても、数十年先の特定地点の降水量が同じ精度で分かるとは限らない。情報提供側は、平均値だけでなくモデル間の幅、自然変動、シナリオ依存性、データの限界を示す必要がある。利用者側も、一つの数値に最適化するのではなく、複数の条件で損失が小さくなる計画を選ぶべきだ。

日本の観測網を維持することも重要になる。ドゥヴィル氏は、次のIPCC評価にとって、既存の地球システムモデルの限界以上に、連続し管理された観測データの不足が障害になり得ると指摘した。衛星、海洋ブイ、気象レーダー、地上観測、河川・積雪データは、モデルを評価し、改善し、現実に結び付ける土台である。


正しい問いは「信じるか」ではない

気候モデルを信じるか、信じないか――この二択は、問題の立て方として粗すぎる。問うべきなのは、そのモデルが何のために作られ、どの時間・空間スケールで検証され、どんな仮定を置き、何を表現できず、結果の幅をどう示しているかである。

世界平均の長期的な温暖化、地域の数十年先の降水、来年の台風活動、特定の堤防に必要な高さは、それぞれ別の問いだ。同じモデル、同じ解像度、同じ信頼度で答えられるわけではない。

気候科学の成熟とは、いつか完全な地球コピーを完成させることではないのかもしれない。不完全さを測り、異なるモデルを比較し、観測で拘束し、外れた場合にも壊れにくい意思決定へつなげること。その方向転換を求める声が、いま「研究者の反乱」として表面化している。

モデルの限界を認めることは、科学を弱く見せる。しかし本当は逆だ。分からない部分を分からないまま示し、それでも何が判断できるかを説明する。その姿勢こそが、気候をめぐる政治的な騒音の中で、科学が信頼を取り戻す最も堅実な道になる。


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