2026年は「加速の年」になるのか ― “火の馬”ブームとSNSの熱狂を読み解く

2026年は「加速の年」になるのか ― “火の馬”ブームとSNSの熱狂を読み解く

「もうすぐ全部よくなるよ。だって、今年は“丙午(ひのえうま)”だから。」


占いに冷めていたはずの友人が、ため息まじりにそう言った。2026年は午年。しかも十干十二支で見ると「丙午(ひのえうま)」——“火の馬”の年だ。旧正月を境に、この言葉が妙に効く“合言葉”として広がり、SNSでは「今年は走れる」「停滞が終わる」という空気が一気に濃くなった。


ふだん信じない人ほど「丙午」にすがる不思議

今回の熱は、熱心な占い好きだけのものじゃない。むしろ「スピリチュアルは苦手」と言っていた人が、転職、失恋、家計、将来不安といった“具体的すぎる悩み”の出口として、「丙午だし…」と軽く言う。


ここで起きているのは、信仰というより“比喩の共有”だ。重たい現実を、そのまま抱えるのはつらい。だから「今年は火の馬=勢いの年」という短い物語に、気持ちをいったん預ける。

「蛇→馬」のストーリーがミーム化しやすかった

SNSで伸びたのは、説明の長い占術解説よりも、短く気分が上がるテンプレだった。よく回ってくる筋書きはこうだ。

  • 蛇の年:脱皮=手放し、浄化、終わらせる

  • 馬の年(丙午):疾走=行動、自由、挑戦、前進


「去年は整えた。今年は走る」——この二行だけで、過去と未来が“物語”になる。動画にも、画像にも、つぶやきにも落とし込める。しかも「丙午」という漢字の強さが、ちょっとした“言霊っぽさ”を足してしまう。言葉が強いと、気分が強くなる。だから拡散する。


丙午=“火”が重なる年、期待は「加速」に集まる

「丙」は火の気(陽の火)を表すとされ、「午」も火の性質が強まる季節の象徴として語られることがある。そのため丙午は、“火が重なる”年として扱われやすい。結果、SNS上でもキーワードは「スピード」「熱量」「衝動」「スタートダッシュ」になった。

  • 「今の仕事、迷ってたけど丙午で背中押された」

  • 「保留してたこと、今年まとめて動かす」

  • 「準備は蛇で済ませた、丙午で走る」

こうした投稿が、共感とともに再生され、また別の誰かの背中を押す。火の馬は“自分の決断を正当化する言葉”として、便利に使われている。


ただし“火”は、燃え尽きも連れてくる

一方で、火はアクセルだけではない。勢いが出る年という言い方は、裏返せば「休むことへの罪悪感」を生みやすい。実際、SNSではこんな反応も目立つ。

  • 「“行動の年”って、動けない人を追い詰めない?」

  • 「加速ムードがしんどい。私は低速でいい」

  • 「燃え尽き注意、ほんとにそれ」


特に、焦りを煽る自己啓発っぽいコンテンツと結びつくと、「丙午=走れ」が“命令”に変わる危険がある。火の年を味方にするつもりが、火に追い立てられる感覚になってしまう。ここが、熱狂の影で語られる警戒ポイントだ。


日本では「丙午」が“別の記憶”も呼び起こす

日本における丙午には、もう一つの文脈がある。1966年の丙午(ひのえうま)をめぐって、「丙午生まれの女性は気が強い」などの根拠のない噂が広まり、出生数が大きく落ち込んだ——というエピソードが語り継がれている。


そのため「丙午って、あの…?」と身構える人もいるし、「そういう偏見を蒸し返すのは嫌だ」という反発も出る。

ただ、今回のSNSの空気は、過去の“忌避”をそのままなぞるというより、むしろ反転させる方向に動いている。

  • 「不吉扱いされた丙午を、今度は自分の味方にする」

  • 「迷信を歴史として知った上で、象徴は自分で使い直す」

  • 「偏見の記憶をアップデートしよう」


象徴には、時代ごとの使われ方がある。丙午を“怖い年”として語るのではなく、“突破の年”として再解釈する——この転換自体が、現代のネット文化らしい。


結局、丙午は「信じる・信じない」を超えた“気分の道具”

火の馬ブームが広がる理由は、当たるかどうかより、心の置き場になるかどうかだ。世界は不確実で、個人の努力だけではどうにもならないことが増えた。そんなとき、人は「今の自分」を説明できる短い物語を欲しがる。

  • 去年は手放した

  • 今年は進む(走る)

  • だから大丈夫かもしれない


この“かもしれない”を、みんなで共有することが救いになる瞬間がある。丙午は、未来を保証する言葉ではない。でも、うつむいた顔を少しだけ上げる言葉にはなれる。


たぶん私たちは、丙午を信じたいのではなく、「信じられる気分」を一瞬でも取り戻したいのだ。



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